道具編
昔はいろいろ道具があった
★896iPadProの短所と長所(2026/05/21掲載)
▽私はマックユーザーとして、アップルのパソコンとタブレット端末を取材の執筆で長い間使ってきた。今回はアップルの製品であるiPadの短所を書いていきたいと思う。
▽今から10年以上前、アップルがiPadを製品化し、私はすぐに購入した。しかし、iPadというタブレットは、Wi−Fi環境下で使える商品であって、当時の国内の通信環境では、今のようなインターネットのWi−Fi環境が整っておらず、初代のiPadはその機能を十分に果たさないまま終わってしまった。モバイルルーターも既に登場していたが、使い勝手が悪く、まともに使うことは出来なかった。
▽その後も私はiPadを買い替え続けた。
▽特に考えたのが、どうすればiPadでノートパソコンのように文章を書くことができるかという点だった。当時はまだiPad専用のキーボードカバーなど出ておらず、試行錯誤の上に、自分なりに見つけたのが、ブルーツース機能がついたキーボード単体とiPadを繋げることだった。つまり、iPadとこの無線キーボードを二つを持ってカフェなどに入り、iPadで文章を作る努力をした。
▽そしてしばらくして、アップル社はiPad用のキーボードを発売した。これがiPad本体を傷つけないようなカバーにもなっており、キーボードカバーとして私も購入し使い始めた。
▽その後もアップル社は新しいiPadを次々と市場投入し、それに伴って専用のキーボードカバーを発売するようになった。私も新しいiPadと専用のキーボードカバーを買い換え続けた。
▽市場の評価では、iPadが限りなくノートパソコンに近づいたと言う声が多い。確かに周りを見渡しても、iPadをノートパソコン代わりにしている人を時折見かける。
▽ではiPadはアップルのノートパソコンであるMacBookProやMacBookAirと大差はないのだろうか。
▽答えは「否」だ。
▽私のこれまでの経験からすると、iPadでの文章書きは意外にスムーズにいかない。日本語の変換機能が悪くて、何回も変換キーを打つ。その分、文章を書くのが異様に遅くなる。何回も何回も変換してやっと目標の言葉に到達するから、長い文書を書くには全く向かない。
▽短い文章やメール、X(旧ツイッター)のポストなどの短い文章には使えるが、長い文章を書くときには全く使い物にならない。iPadの欠点だ。
▽そしてiPadにキーボードカバーを取り付けると非常に重くなる。ほとんどノートパソコンの重さと変わらない。これだったらノートパソコンであるMacBookAirなどを持っていった方がマシだ。
▽iPadはタッチスクリーンがある。指などでタッチしたり、アップルペンシルでイラストなどの絵を書くことができる。これはMacBookAirんどでは全くできない機能だ。描写に優れていると言ってもいいかもしれない。
▽しかしここでも問題は出る。イラストなどを書くときは、iPadは机の上に水平に置かなくてはならない。そう、キーボードカバーを外さなくてはならないのだ。つまり、ノートパソコンのように使いたいなら、キーボードカバーを取り付けるしかないが、アップルペンシルでイラストを描きたい時は、外さなければならず、その煩わしさが欠点となっている。
▽こうして考えると、文章書きはあくまでもMacBookAirを使い、iPadは補助的なものとしかならない。
▽iPadの購入を考えている人は、こういうiPadの欠点も頭に入れて購入を決めてもらいたい。
▽ちなみに私が現在使っているiPadはiPadPro13インチとiPadPro11インチ、2台のiPadmini7だ。ノートパソコンとしてはMacBookAirとMacBookProを使い、デスクトップとしてMacMiniM4を使っている。
★888カメラと写真にこだわった私(2026/05/11掲載)
▽新聞記者を40年も続けてきて、ふと思うのは、よくもまあ、カメラを何台も何台も買い足してきたという事実だ。新聞記者の道具として、私はかなりカメラにこだわってきた。もちろん、良い写真を撮影し、良い写真を紙面に載せたいためだった。だから、カメラにはこだわった。自費で買い続けた。多分、カメラマンでない記者が、こんなにカメラにこだわって購入してきたのは、あまりいないだろうと思っている。
▽私は北海道新聞に7年、朝日新聞に33年5カ月勤務していた。
▽入社当時の新聞業界は、新入社員の記者に一眼レフのカメラを買わせ、それをローンで返す仕組みを持っていた。多くの新人記者は初めて持つフィルムカメラの一眼レフを使い、取材をして記事にし、撮影した写真を紙面化していた。
▽私のその最初の1台は、北海道新聞に入る前、アルバイトをしていたAP通信のカメラマンから譲り受けた「ニコマート」というカメラだった。機械式のカメラで重かった。フィルムを入れて、シャッターを切り、撮影する。そんな新人時代が続いた。
▽それだけでは物足りなくて、新たにニコンFE2、ニコンFM2など買い足して使っていた。
▽朝日新聞に転職してからも、これらのカメラを使い続けた。
▽そして念願のF3も購入した。当時のプロ仕様のカメラだ。頑丈でプロ仕様。若いころは高価で買えなかったが、記者生活10年ほどで、中古を買った。上部のプリズムを外せばカメラを下に向けながら撮影できた。シャッター速度も申し分ない。頑丈で好きだったカメラだった。一眼レフのフィルムカメラとしては最高のカメラだったと今でも思う。
▽そしてやってきたデジタル化の流れ。
▽朝日新聞は新聞写真のデジタル化を急ぐため、長らく続けてきた「記者のカメラ購入強要」という制度を変更し、一眼レフのデジタルカメラを貸与する方法を採り入れた。県庁所在地や準支局には、当時のプロ仕様のデジタルカメラを配備したが、一戦の記者に貸与したニコンのデジタルカメラは、プロ仕様の「一桁数字シリーズ」ではなく、「4桁数字シリーズ」と揶揄された素人向けの、性能の低いカメラだ。連写も満足に出来ないから、スポーツ写真、特に高校野球撮影には全く使えなかった。
▽これでは使えないと思い、私は自費で、一眼レフのデジタルカメラを数年に1回、買い出してきた。
▽デジタルカメラは進化し、そのうちニコンD100を使うようになり、そして当時のプロ仕様カメラ、ニコンD2Hsを使うようになった。ニコンD3、さらにはニコンD500を購入し、プロ仕様のニコンD5も使うようになった。
▽特にニコンD5は完璧なプロ仕様のカメラだった。連写も速く、最高級のカメラだった。高校野球やサッカーJリーグの写真撮影で活躍してくれた。
▽当然、レンズも買い足した。単焦点レンズのほか、70-300、80-400ミリのズームレンズも買い足している。
▽高校野球県大会では、バックスクリーン横から、超望遠レンズを取り付けて撮影したこともある。
▽こうして見ると、私が使ってきたカメラは、まさにプロのカメラマンが持っているカメラと遜色はなかった。それだけ購入を続けてきたことになる。
▽一方でカメラや写真に興味ない記者は、会社から貸与された、ショボイカメラを使い続けていた。
▽私がカメラや写真にこだわってきたのは理由がある。新聞記事だけでは伝え切れないものがあり、それが写真で補うという意味からも大切な道具だと思っていた。新聞記事と写真はそれぞれ補う大切な武器だった。
▽良い写真を撮りたいためには、良いカメラを使うしかなかったのだ。漫画「ゴルゴ13」の主人公、デューク東郷が道具であるライフルM-16にこだわり続けたのも、道具が大切なためと判断したからだろう。
▽朝日新聞を退職しても、カメラや写真に対する熱は冷めていない。ミラーレスカメラのニコンZ9を購入し、単焦点レンズのほか、28-200、28-400ミリのズームレンズも買ったのも、道具としてのカメラを愛しているためだ。
★882パソコンはローマ字打ちか平仮名打ちか(2026/05/01掲載)
▽私はパソコンで文章を書く時、キーボードで平仮名打ちをする。多くの人がローマ字入力をしているのに、私は平仮名打ちで、少数派だ。以前、ローマ字打ちを試したこともあるが、馴染めなくて、平仮名打ちは現在でも続いている。
▽理由は1985年ごろに普及が始まろうとしていたワープロにある。
「一般の家庭でも、活字が作れるんだ」
と、私は驚き、ワープロを即購入した。だれも指導してくれる人がいなかったので、そのワープロを見よう見まねで独自学習をして、覚えたのが平仮名打ちだった。
▽当時はワープロ本体の液晶ディスプレーに表示される文字数が少なく、文章の量はわずか1行とか2行ぐらいしかなく、まとまって文章を作るのは大変だった。
▽ワープロが次第に普及して、多くの家庭でもワープロを持つようになっても、私は平仮名打ちを続けた。
▽1988円に北海道新聞から朝日新聞に転職した時は、まだ新聞現場では紙の原稿用紙を手書きで原稿を書く時代だった。しばらくしてから職場にもワープロ導入が始まった。ワープロを電話回線で繋いで、ワープロで書いた原稿をデスクの元に送るというシステムも開発された。それでも私は日本語の平仮名入力だった。
▽さらに朝日新聞はワープロからパソコンへとシステムを変更させていったが、それでも私はパソコンも平仮名打ちだった。多くの同僚は、ローマ字打ちをしていて、私は少数派だった。
「ローマ字打ちは26文字で済む」
とローマ字派は主張するが、私のような平仮名打ちの人間からすると、「あいうえお」以外はキーを2回打つので、逆に速度が遅くなる。そう反論した。
▽その時点で私は何冊か本を出しており、出版社に渡す原稿も平仮名打ちで作った。ワープロで作り、印刷した物を渡した。
▽つまり私は40年間も平仮名打ちを続けてきたことになる。見よう見まねで始まった平仮名打ちがそのまま変更できなかったことになる。
▽困るのは東京本社の職場にある共用のデスクトップパソコンだった。多くの職場の仲間が、ローマ字打ちをしていて、そのままの設定になっている。それを私が使う時は平仮名入力に変更した。当時のウィンドウズマシンのパソコンの設定は、ローマ字から平仮名入力に変更する時、多少面倒だった。ウィンドウズのパソコンは使いにくいなと思ったりもした。
▽そして携帯電話、さらにはiPhoneなどのスマホなどの個人的な端末が普及しても、私はキーボードによる日本語平仮名入力にこだわった。ガラケーやiPhoneでのメール作りは極力避けて、パソコンでの送受信を優先させた。私はキーボードで書くことを好んでいたのだ。
▽それは今のX(旧ツイッター)ポストを書く時も、LINEでの文章を書く時も、iPhoneなどを使わず、パソコンのキーボードで書くことが多い。こんな日本語の平仮名入力をしているのは、もう希少動物と言うしかないのだろうか。
▽しかし私はそれでも平仮名入力を続けている。
★879重い機材を持ち歩くカメラマンは大変だ(2026/04/28掲載)
▽よくも、こんなに重い機材をカメラマンはいつも持ち歩いているな、と感じた。カメラ機材一式を持って、夏の高校野球県大会に撮影取材に向かった時だった。重くて、スムーズに運べなかったのだ。
▽私が埼玉県秩父市の朝日新聞秩父支局に勤務していた時だ。夏の高校野球県大会で、準決勝と決勝戦の写真を、バックスクリーン横から撮影するようさいたま総局から要請があった。
▽当時、新型コロナウイルス感染拡大で高校野球は変則の大会となり、プロ野球の西武球団が西武ドーム(埼玉県所沢市)を主催者の高野連に貸してくれることになり、ここで準決勝と決勝が開催されることになった。いつもなら県営大宮球場だったから、粋な計らいだった。
▽私は自分の一眼レフのカメラとレンズ一式、三脚、折りたたみの椅子、ドリンク類などを支局からマイカーで持ってきた。そしてさいたま総局の若い記者が、本社から届いた貸与式の600ミリという超望遠レンズを持ってきてくれたので、これも受け取った。
▽ドームの駐車場に車を止めて、カメラ機材を一式持って、球場センターバック後方にあるバックスクリーン横のカメラマン席に向かった。
▽その機材の重たいのが、予想外だった。時に600ミリの単焦点レンズは、レンズケースに入れられており、その重量がプラスされた。私が持ってきたカメラバッグ、三脚、折りたたみの椅子、飲み物のペットボトルなどの重さがずっしりと私の身体に襲ってきて、その歩く数百メートルが、異様に長く感じた。
「こんなものをいつも持って、カメラマンは歩いているのか」
と驚いた。それだけ重かった。
▽そして鉄骨と鉄板で設置されたカメラマン席。簡素な作りで、階段もなく、見よう見まねで何回も上下運動を繰り返して、カメラ機材を揚げていった。身体のバランスを崩せば、転落する危険性もあった。これがプロ野球のカメラマン席なのか、と悪い意味で驚いた。
▽そして三脚にカメラと望遠レンズを設置し、椅子を取り付けて、テスト撮影をした。
▽同業者として地元埼玉新聞と毎日新聞のカメラマンがいた。
▽私は新聞記者だったから、本社時代を除くと、地方勤務時代はカメラを常に携行していた。しかし、撮影すると言っても、簡単な風景写真だったり、ポーズ写真だったり、と撮影の苦労などなかった。
▽それが、今回の西武ドームで機材運びをした時は、
「こんな重い機材を持ち歩くとは」
と、思いもしなかった。
▽ちなみに私が当時使っていたカメラはニコンD5と、APS-CサイズのニコンD500だ。
▽撮影はうまくいき、投手と打者の一投一打と、本塁打を打った瞬間のシーン、さらには本塁打を放って喜ぶ打者の写真を撮影することができた。
▽ふだんは経験することがない西武ドームでのバックスクリーンからの撮影を経験できたことは、うれしかったが、こんな重い機材を運ぶなんて、こりごりだと思った。良い思い出だが。
★876マニアに人気の報道用カメラのストラップ(2026/04/23掲載)
▽朝日新聞社を退職し、気づいたことの一つに、報道用カメラのストラップがアマチュアカメラマンから人気になっていることだった。人気というより、垂涎の的となっていることを知った。現役時代は全く気づかなかったし、知らなかった。マニアからは貴重な道具の一つらしい。
▽一眼レフカメラに取り付けるストラップは、通常、カメラを買った場合に通常のものが付いてくる。ニコンの場合は、ミラーレスカメラなら、「Nikon▽Z」というロゴが入ったストラップが付いてくる。
▽これに対して、プロ仕様のストラップはニコンの場合、「NPS」という文字と、「Nikon▽Professional▽Servies」のロゴが入る。プロフェッショナルを強調したストラップだ。
▽このプロ仕様のストラップは、ニコンやキャノンなどのメーカーが直接、新聞社に支給しているものだ。カメラ本体を購入した時に、付いてくる。だから素人には買えないし、一般の人間も購入できない。
▽私は40年間、新聞記者を続けてきたが。使ってきた多くのカメラは、一般の店頭で買っており、新聞社を通じて買ったカメラは2台しかない。このカメラの双方に、プロ仕様のストラップが付けられていた。私は一般のストラップとプロ仕様のストラップの違いもほとんど気にせずに使ってきた。
▽そして朝日新聞を退社するにあたって、十数台あったカメラの断捨離を考えて、買取業者に次々と買い取ってもらった。その際、プロ仕様のストラップを見て、その業者がこう言ったのを覚えている。
「これは高く売れるんですよ」
▽こんなことを言われたことを思い出す。
▽確かにヤフオクでプロ仕様のストラップを見ると、中古でも1〜2万円で売っているのだ。これには驚いた。こんなにプロ仕様のストラップが高く売れるとは。
▽確かに取り鉄仲間や風景写真の仲間の中で一人、プロ仕様のストラップを持っていれば、目立つし、鼻も高いのだろう。
▽だけど、プロ仕様のストラップを付けたカメラを持ったとしても、多くの場合は一般の素人カメラマンと同じような扱いしか受けない。取材制限がかかるような場所では、プロ仕様のストラップを付けたカメラを持っていても取材撮影に入れない。逆に許可証や記者証も腕章も必要だ。
▽ついでに言うと、腕章は売買もできない。
▽朝日新聞の場合だと会社から与えられた腕章は、それぞれの腕章に社員番号を書かされ、会社を辞めた時は返却するのだ。偽の記者が出没することを避けるためだ。
▽プロ仕様のストラップも、こうして社員番号など付けた方が良いのかもしれない。偽のプロカメラマンと区別するためだ。
▽プロ仕様のストラップなど、私はほとんど価値がないと思っている。それでも欲しい人間がいるのだから、分からない。
★862iPadminiを水没させた失敗談(2026/04/02掲載)
▽今回はタブレット端末を水没させてしまった失敗談を綴っていく。
▽自宅の風呂に入っている時だった。バスタブに浸かり、いつものようにiPadminiを使って、朝日新聞デジタルなどのニュースを読んでいた。iPadmini本体には防水性がないので、いつものようにビニール袋のような防水ケースに入れていた。
▽その時だった。iPadminiの本体に水が入り込んでいることに気づいた。驚いてよく見ると、このビニール製の防水ケースの一部が破れていて、そこから風呂のお湯が入り込み、水没していたのだ。
「やってしまった」
▽私は心の中で叫んだ。パソコンにしてもタブレットにしても、水が入り込んだらその機械はおしまいだ。そんなことを知ってるから、私は風呂からすぐ出て、このiPadminiのデータのバックアップを取り、タオルで拭いた。
▽しかしiPadmini本体に水が入り込んでいて、液晶画面の内部が水で染み込んでいてた。これはダメだな。私はそう思った。そのまま私はこの水没したiPadminiを持ってAppleの専門店に持っていった。修理を依頼した。
▽そこで受け付けはしてくれたが、数日後に連絡があった。
「修理不能で本体そのものを交換する必要があります」
という内容だった。5万円かかると言われた。
▽当時のiPadminiの新品の店頭価格が7〜8万円だったから、新品より安かったが、それでも高いなと思った。水没させた代償は大きかった。
▽後に届いたのはiPadminiの中古修理品だった。それでも仕方ないと思って、現金を支払い、その新たなiPadminiを引き取った。
▽この水没で問題になったのは、防水ケースとして使っていたビニール袋だった。アマゾンで2000〜3000円で買ったものだ。買ってわずか半年も持たなかった。iPadminiを入れる部分の蓋の部分に亀裂が入り、破れていたのだ。
▽すでに買ってから半年も経っているので、業者への苦情をするのもやめた。泣き寝入りだった。
▽半年しか経過しないで壊れるのだから、ある意味欠陥商品だと思った。
▽このようにいくら防水機能をうたっていても、ビニール袋は破れやすい。信用しない方が良いと私は思った。
▽この水没事故以来、防水ケースはビニール袋のようなものではなく、硬いプラスチックで作られた防水ケースを使用している。
▽水没という痛い事故に遭い、私は教訓を得た。ビニール袋の防水ケースなど、信用しないほうがいい。いつか破れてしまい、iPadminiが使えなくなる。
▽その後、私はiPadminiを何台か買い換えてきたが、そのために防水ケースも新しくしている。ビニール製の防水ケースは使っていない。水没することはなくなった。
▽以上が私の水没させたiPadminiの失敗談だ。
★857取材現場で消えた電話の吹き込み(2026/03/26掲載)
▽最近の取材現場でなくなった風景に、電話での原稿吹き込みがある。ワープロやパソコンがまだなかった時代、現場取材での原稿は電話でデスクやキャップに直接吹き込むのが普通だったが、それがいつの間にかなくなった。パソコンでメモや原稿を送るのが普通になって、電話での吹き込みは必要なくなったということか。
▽しかし、と私は思う。パソコンを立ち上げる状況ではない場合、どうするか。災害現場の最前線でパソコンを広げる余裕がない場合、暴風雨の最前線でパソコンを立ち上げることが不可能な場合、どうするか。やはり電話による吹き込みしか方法がないのだ。やはり生命線は電話だと私は思う。
▽そのことは現場の記者も、現場から原稿を受け取るデスクやキャップも肝に銘じてほしい。現場感覚が乏しいデスクだと、現場記者の置かれた状況を理解しないで、「原稿をパソコンで送れ」と簡単に言ってくる輩が、必ずいる。冗談ではない、と反発もしたくなる。電話で送ってきた生原稿を、原稿の形に清書するのを面倒くさがっているのだ。
▽私が新聞社に入社したのは1981年4月。以来、二つの新聞社で40年以上勤務していたが、携帯電話が取材現場に登場したのは1990年代後半で、それまでは公衆電話を使うしかなかった。公衆電話がない場合は、現場周辺の民家を探して、電話を借りて使った。
▽私が最初の新聞社である北海道新聞では、当時のデスクが速記記者の経験があったので、現場からの原稿はすべて電話で送っても、デスクは文句を言わなかった。勧進帳で送った事もあるし、取材用の大学ノートに原稿をざっと書いてから、送った事もある。勧進帳とは、原稿を頭の中で作って、そのまま電話で送る方法で、昔の記者は勧進帳の訓練も受けていた。
▽朝日新聞に転職し、最初の浦和支局(現さいたま総局)では県警担当キャップとして連続幼女誘拐殺人事件などの取材をしたが、まだワープロが普及し始めたころで、ワープロで書いた原稿を電話回線で送るシステムがなく、取材で得た情報はデスクに電話でメモとして、あるいは原稿として送った。ある時はそんな形での特ダネになったし、ある時は、第一報のフラッシュ原稿になったこともある。すべては公衆電話による吹き込みだった。だから公衆電話がある場所は、頭にたたき込んでいた。
▽時が経過し、原稿を書いて送る道具がワープロからパソコンに代わって、こうした電話の吹き込み風景は次第になくなっていった。朝日新聞の地方支局には、電話吹き込みの受け手側であるデスクやキャップ、あるいは泊まり勤務の記者用に、電話機に直接繋げるレシーバーを配給し、対応した時代もあったが、生原稿を改めて原稿にする作業を嫌がる輩が多くて、次第に使われなくなった。
▽そしてこの10~20年は、メモ起こしの時代だ。記者会見や囲み取材の情報は、担当記者がメモを起こして、デスクやキャップに送ることが普通になった。メモを出すことで、記者個人の判断は入らない。考えることを拒否するシステムだ。判断するのはメモを受けたキャップやデスクだけという時代だ。メモを作ることが、取材の大半を占めているようで肌寒い。
▽パソコンが使えるからこそ、このメモ起こしの作業が可能になったとも言える。パソコンが使えないような状況、パソコンが壊れた時の状況を想像したことがあるだろうか。その時は、やはり電話による吹き込みしかないのだ。この作業が大切であることは、昔も今も変わらない。
▽私が朝日新聞北海道報道部時代、ベテラン記者がサハリンに臨時出張した。この際、現場から送ってきた原稿は、勧進帳の原稿だった。私は遊軍担当記者としてこの原稿を受け取り、パソコンで原稿にして出稿した。こんな作業を面倒だと思ってはいけない。大切な新聞作業現場の光景なのだ。
▽電話の吹き込みは消えたが、決してなくなってはいない。
★831モバイル記者を名乗った昔の私(2026/02/16掲載)
▽私は昔から「モバイル記者」を名乗っていた。「モバイル記者」の定義はないが、いつでも、どこでも、取材したらモバイル機器を使って原稿を書いて送る。そんなイメージを持って、「モバイル記者」を名乗っていた。
▽昔のノートパソコンは、重くて大きかった。持ち運びには向かなかった。代わりに、モバイル用の小さな端末が一部で普及した。NECが発売したモバイル機器やジョルダナという商品もあった。多くはワープロを主体にしたもので、原稿を書いて電話通信で送るという端末だった。
▽私はこうしたモバイル端末をいろいろと利用した。当時はまだインターネットの普及が広がっておらず、パソコン通信と呼ばれる環境で使っていた。Wi−Fiもまだなく、電話回線を繋ぐ機器も必要だった。通信速度も遅かった。
▽私はジョルダナなどを使って、原稿やメールを書いてきた。電車やバスの中で原稿を書いて、送ったし、喫茶店の中でも原稿を書いて送った。いまでは普通の光景だが、当時は珍しい作業に映っていた。今のように添付ファイルなども送ることはなく、純粋にテキストデータを送っていた。これがモバイル記者の現状だった。
▽しかし、それでも周囲にこうした機器を駆使して原稿を書く記者はいなかったから、私はかなり目立ったモバイル記者だった。
▽朝日新聞ではまだ社内の原稿処理システムが発展途上にあり、独自のシステムやアプリケーションなどあまりなく、私は好きなモバイル機器を買っては送信を確かめていた。いろいろ買い足した。カネも使った。
▽そんなモバイル記者生活も、何年も続かなかった。朝日新聞が記者の原稿処理システムを構築するようになり、原稿を書いて送るパソコンを限定したためだ。モバイル機器は使えなくなった。セキュリティーの向上で、記者個人のIDも必要になり、モバイル機器の使用は終焉を迎えた。
▽先日、私の自宅の物置に、このモバイル機器であるジョルダナを見つけた。「ジョルダナ548」という小さなパソコンで、よくもまあ、こんな小さなマシンで原稿を書いていたなと思った。小さくて軽く、持ち運びは便利で、まさにモバイル機器。しかし性能は今となっては低く、持っていても意味がないと思い,断捨離をして捨てた。思い出のモバイル機器だった。
▽今は、MacBookAirなどを使い、モバイルルーターとして、iPhoneのテザリング機能を使って、通信を確保している。あの時、「モバイル記者」を名乗っていた私は、時代の流れの波に乗り遅れまいとしている。
★823iPadに入れたATOKが動作しなかった(2026/02/04掲載)
▽個人的に新たに買い換えたiPadに、日本語変換システムのATOKのクラウドサービスを入れてみた。ATOKのクラウドサービスは既にパソコンで使っており、ユーザ辞書の同期がクラウド上でできて便利だったため、期待してインストールした。しかし、全く動作しなかった。がっかりした。
▽ATOKはワープロソフト「一太郎」を開発したジャストシステムの商品だ。日本語変換ではトップのシステムだ。古くからウィンドウズマシンやアップルのマシンで使われている。私も四半世紀も前からこの日本語新変換システムを使っており、重宝している。特に8年ほど前から始まったクラウドサービスでは、すべてのパソコンの日本語変換システムで、登録したユーザ辞書が、すべてのパソコンにも使えるため重宝していた。
▽ユーザ辞書とは例えば、「じ」と平仮名を入力して変換キーを押せば、あらかじめ登録したユーザー辞書で、「ジョギング」という言葉に変換できる。「あ」と打って変換すれば、「Apple Intelligence」と変換できる。まさに個人の辞書だ。これを何台もあるパソコンで使えるようになった。1台のパソコンで辞書登録すれば、すべてのパソコンで使えるようになった便利なサービスだった。それまではパソコン1台ごとにユーザー辞書を登録する必要があったため、何台もパソコンを使っているユーザーには重宝されてきた。
▽それが今年(2026年)から、サービスの統合があり、クラウドサービスのうち、このユーザ辞書が同期できるベーシックサービスが、プレミアムサービスと合体し、料金が値上げされた。プレミアムサービスでは、iOSのiPaなども使えるというから、使ってみることにした。私はインストールを決めた。
▽インストールして、設定をしたが、ATOKの日本語変換機能が全く使えなかった。おかしいなと思って、いろいろ設定をし直し、インターネット上でも調べてみた。するとインターネット上では以下のような、驚きの解説を見つけた。
《キーボードをつけたiPadではATOKサービスは使えない》
《iOSの仕様:残念ながら、iPadに外付けキーボードを接続した場合、ATOKは利用できません。これはAppleの仕様によるものです。》
《もし外付けキーボードを使用している場合は、それがAppleの仕様によりATOKと併用できないため、ATOKが機能しないのは正常な動作です。この場合はApple標準のキーボードを使用することになります。》
▽私が使っているiPadは、iPadPro13インチモデルで、アップル社純正のマジックキーボードを着けていた。これを着けている限り、インストールしたATOK機能が使えないとあるのだ。
▽私は愕然とした。
▽なぜなら、iPadProにATOKを導入することによって、パソコン並みに文章が書けると思い込んでいたからだ。
▽私は失敗したと思った。
▽iPadは、パソコン並みの文章を書くのが不得手だった。アップルの日本語変換システムがお粗末すぎるのだ。変換に時間がかかるし、イライラしてくる。文章作りを生業としているライターやジャーナリストにとって、iPadは不向きだ。それが今回のATOK導入で改善されるのではないか。iPadをパソコン並みに使うと期待しているユーザは多いのではないか。
▽しかし、文章を書く仕事をしている人間には、やはりiPadにATOKを導入しても使えない。私の期待は大きく裏切られた。
▽これは知った方が良い。ATOKのホームページでもそんな注意書きは書かれていなかった。
▽アップルのシステムも問題か。ATOKの開発が中途半端だったのか。
▽ちなみにiPhoneにもATOKを導入したら、これはフリックの入力システムでは使えている。しかし、こんな小さな入力機能で長い文章を打てることはできない。
▽やはり文章を書くのはパソコンしかないのかなと思ってしまった。がっかりした導入の話だった。
★815欲しくて買ったが、使わなかった自転車(2026/01/23掲載)
▽地方支局勤務時代、欲しくて買ったが、使わなかったものがある。自転車だ。あれば便利だと思って買ったが、結局はほとんど使わなかった。理由は、事故に遭うのが怖かったのだ。
▽自転車は便利な乗り物だ。細い狭い小路にも入っていけるし、比較的近い場所での取材移動なら、これほど便利な乗り物はない。
▽群馬県渋川市の朝日新聞渋川支局に勤務している時はスポーツタイプの自転車を買った。また、埼玉県秩父市の朝日新聞秩父支局でもママチャリを買った。しかし、どちらも数回近場を乗っただけで、ほとんど利用しなかった。
▽理由は一つ。交通事故が怖かったのだ。
▽通常の取材の移動には、地方では通常マイカーを使う。それは渋川支局でも、秩父支局でも同じだ。マイカーを運転していて気づくのは、道路の片隅を走っている自転車の危険な運転だ。フラフラ走っている自転車も多い。交通信号を平気で自転車もある。急に道路を横断する自転車がある。脇道から急に飛び出してくる自転車も多い。マイカー運転する立場からすると、自転車ほど怖いものはないのだ。だから自転車は買ったはいいが、交通事故に遭うのが怖くて乗らなかった。
▽私には幼いころの自転車での交通事故経験がある。小学校2年生の時だ。交差点を自転車で渡ろうとして、左から来たトラックにはねられた。現場は見通しが悪い道路で、垣根があり、私の自転車からも、逆にトラックの運転者からもそれぞれが見えない交差点だった。信号もなかった。自転車もトラックも、注意して通過しなければならない交差点だった。ともにスピードが出ていて、私はそのトラックにはねられ、気づいた時は、その24時間後、病院のベッドの上だった。
▽私は交通警察官に、
「僕がよく前を見ていなかった」
と言ったらしい。トラックの運転手に責任はないとも言った。振り返れば子供ながら正直だなと思った。本来ならばトラックの運転手に過失があり、刑事責任や行政責任が問われても良いのだろうが、そんな事は全くなかった。そのトラック運転手は一度病院に見舞いに来て、菓子折りを置いていっただけだった。現在だったら刑事責任が問われる事故だっただろう。
▽それ以来私は自転車を乗るのが怖くなった。壊れた自転車はそのまま。その後遺症で、1年に数度頭痛が発症し、父親に連れられて、東大附属病院にずっと通っていた時期もある。脳波を見てもらい、頭痛の原因を探ったが原因はわからなかった。
▽私が再度自転車を買ったのは、10年後の高校生時代だった。
▽私は今でも時折マイカーを運転しているが、自転車を見かけるたびに危険を感じてしまう。自転車との間隔を開けて、走るようにしている。
▽乗用車の運転席から見れば、自転車は危険な乗り物だ。そのため私は自転車を乗ることは激減した。
▽便利な道具なのに、使わなかったのも情けないと思うが、事故に遭うよりはマシだ。
★812ミラーレスカメラの欠点(2026/01/20掲載)
▽自宅近くの風景写真を撮るために、ニコンのミラーレスカメラを持って出た。川辺や野鳥などを撮影し、自宅に戻ってパソコンでその写真を確認していた時だ。画像には何点もの汚れが写っており、やはりなと思ってしまった。ミラーレスカメラによくできる汚れだった。
▽撮影した画像をカメラ本体の液晶ディスプレーで見ているなら分からないが、パソコンで大きく拡大してみると、その汚れが小さな円形となって何点も写っていてよく分かる。黒や灰色の汚れがいくつもあるのが確認出来た。
▽これはミラー連カメラの心臓部である画像センサーに、埃などのゴミが付着したために起きる現象だ。ミラーレスカメラはレンズを外せば分かるが、そのセンサーがむき出しになっており、汚れが付着しやすい。特に撮影する現地でレンズ交換をした場合、そのレンズ交換をした瞬時に、ホコリなどの汚れがカメラのセンサーに付着する。付着すれば、そのまま画像に汚れとして反映されるのだ。
▽だから現地でレンズ交換をする場合は、ブロアーなどでほこりを吹き飛ばす作業をしなければならない。
▽また汚れが付着してしまったならば、専用の汚れ落としを使ってセンサーを清掃するしかない。専門店やニコンの出先窓口でも有料で清掃してくれるが、清掃する自信があるならば、専用の清掃セットを買って汚れを清掃すれば良い。ただしセンサーはまさにミラーレスカメラの心臓部で、清掃して逆に傷ついてしまえば、撮影そのものが出来なくなる。センサーの交換料は高い。あくまでも自己責任ということになる。清掃道具は専門店で扱っている。
▽このようにしてミラーレスカメラの点検は他のデジタルカメラよりも気にしていた方が良い。撮影してみて、汚れが付着していた、と後に知るのは恥ずかしいし、後の祭りだ。
▽ミラーレスカメラの欠点を知って、撮影する準備を心がけたい。
★807私がシステム手帳をやめた訳(2026/01/12掲載)
▽現役の新聞記者時代、私が長い間使っていた取材道具の一つにシステム手帳があった。取材予定を書き込む作業では、便利な道具だった。それが数年前から全く使わなくなってしまった。その理由とは。
▽システム手帳が日本で流行し始めたのは1987年ごろだったと記憶している。雑誌などで特集されて、システム手帳を使うのが、ビジネスマンのステータスのような雰囲気だった。ツールとして最適だと言う声が紹介されていた。私は東京・銀座の有名な文具店でシステム手帳を購入し、1988年に転職した朝日新聞でずっと使ってきた。
▽1週間単位の予定表に、取材のアポを書き込み、時には新聞の短い短信記事を切り抜いて、システム手帳に貼り付けていた。取材の目標を立てていたこともある。1年365日のスケジュールが終われば、翌年の1年間分の予定表を買い換えて使ってきた。
▽このほか、取材先の連絡先などもこのシステム手帳に書き込んでいた。アナログ時代の、古き良き道具だった。
▽ある時から、システム手帳が大きかったので、小型のシステム手帳に交換したが、それでもずっとシステム手帳は使っていた。取材予定を書き込むには、便利な道具だった。
▽その一方で、電子的な予定表も使うようになった。マイクロソフト社が開発し商品化したアウトルックだ。メーラーとしての機能のほかに、予定表を書き込むツールがあり、これがモバイルマシンや、ガラケーの予定表と同期ができて、便利だった。アウトルックに取材予定を書き込めば、有線で同期されたモバイルマシンやガラケーにも予定表が同期された。こんなに便利なものはないと思った。
▽しかし、アウトルックは汎用性がなく、すべてのマシンで同期できるようなものではなかった。だからシステム手帳の予定表も並行して使っていた。
▽私に転機が訪れたのは、グーグルカレンダーの登場だった。グーグルカレンダーは、アップルのパソコンであるMacBookやiPhoneのカレンダーとも同期ができるので、これが非常に便利になった。iPhoneのカレンダーに取材予定を書き込めば、メーンマシンのMacBookやMacMini、さらにはiPadにも同期ができ、これが決定的になった。もはやシステム手帳はいらないと思った。
▽このグーグルカレンダーの登場で、私はシステム手帳を使うことはなくなった。一つのマシンに予定表を書き込めば、すべてのマシンでのカレンダーに同期ができる。これ以上便利なものはないと私は思っている。
▽これがシステム手帳を辞めた理由だ。システム手帳は不要となってしまった。過去の道具になってしまったのだ。
★786電話料金が異様に高かったインターネット事始め(2025/12/10掲載)
▽パソコンが一般市民に普及し始めようとしたころ、インターネットはまだ黎明期だった。私が朝日新聞東京本社に勤務し始めた時は、まだワープロの全盛期で、パソコン導入には数年かかった。この黎明期こそ、電話回線を異様に使っていた。
▽当時のインターネットは、BIGLOBEやニフティのような大手のパソコンサービス会社が、全国各地に電話のアクセスポイントを設定し、利用者はパソコンを電話回線でつないで、そのアクセスポイントに電話し、インターネットに繋げていた。パソコンに設置したモデムという機械を介して接続し、今考えれば低速な通信速度でインターネットを繋げていた。
▽アクセスポイントは市内にないことが多く、市外のアクセスポイントにかければ、当然電話代が異様にかかった。だから、インターネットを接続するには、どうやって電話代を節約するかも利用者の課題となっていた。
▽メールを閲覧する時も、掲示板にアップされたメールを一括でダウンロードできるソフトを利用したり、なるべく画像はダウンロードしないなどの対策も取った。
▽そのうちNTTは未明から早朝にかけての電話代を安くするサービスも始め、それゆえにインターネットは未明から早朝に繋げていた時代もある。
▽私が東京本社から新潟県上越市の朝日新聞上越市に転勤になった時は、この電話でアクセスする方法でインターネットを繋げていた。かなり高価な電話代となっていた。支局には電話回線が五つもあり、そのうちの一つはインターネット専用回線になっていた。
▽電話回線に繋げる時、パソコンに接続したモデムの善し悪しでインターネットの回線速度が左右された。
▽今のように光ファイバーなどによる光回線もなく、インターネットの通信速度が遅く、1枚の画像を見るだけで相当な時間がかった。
▽次第に通信環境が良くなり、ADSLなどの回線も現れ、通信速度が改善されて、パソコンも処理速度の速いものが普及するようになった。
▽それでも現在のようなスマホはまだ出現しておらず、携帯電話は純粋に電話をするか、iモードなどのメールで使うだけだった。今考えれば相当原始的な方法でインターネットを繋げていたことになる。
▽私は東京本社時代に知り合いから勧められて、パソコンはずっとAppleのMacを使い続けてきた。ウィンドウズのマシンと違い、一歩も二歩も最先端を進んでいたので、Macのまねをウインドウズがしていると感じていた。パソコン同士を繋いだり、社内のイントラネットという発想も、ウインドウズマシンにはなく、Macの独自開発のようなものだった。すでにMacのマシンには有線LANの端子が付いていた。Macには先見性があった。
▽私がパソコンを使うようになって、30年以上経つが、現代のようにこんなにインターネット社会が進むとは思わなかった。もう何台ものMacを買い続け、使ってきたことか。その歴史はインターネットの進化そのものだった。
★763懐かしい音声入力ソフト、ドラゴンスピーチ(2025/11/07掲載)
▽もう四半世紀前の話だが、米アップル社のマシン、マッキントッシュに音声入力ソフト、「ドラゴンスピーチ」という製品が開発・発売された。四半世紀前のその当時は、ものすごい便利なソフトだと思い、購入して、使い始めたことを思い出す。今では音声入力など当たり前の時代になったが、当時は画期的なソフトだと、一部のユーザーにはもてはやされた。私もその一人だった。
▽音声入力の問題は、マイクに向かって話す人間の音声を、コンピューターがキチンと拾って解析し、日本語として文章をしてくれるかだった。人間は一人一人に音声の特徴があり、滑舌が悪かったり、どもったりして、人間によっては意外に音声を分析しにくい。
▽ドラゴンスピーチには、音声の特徴を分析するため、ディクテーションという操作をあらかじめ行う必要があった。用意された長い文章をマイクに向かって延々と読み上げて、利用者の音声を分析し、それを認識して、識別率を高めるのだ。
▽私は当時、新潟県上越市の朝日新聞上越支局に勤務しており、支局の居住部分に住んでいた。メーンマシンのマッキントッシュにこのドラゴンスピーチをインストールし、ディクテーションのテストを行い、使い始めた。
▽原稿を音声入力し、文章化してみた。しばらく使って見て、音声を文章化した場合の識別率は、7~8割という結論が出た。こんなものかなと思った。長い文章なら、こんなレベルの識別率でも、修正していけば、問題はない。ただ口頭での話は、意外に無駄な表現が多く、修正する文章も多くなった。
▽さらには取材でマイカーで出かける時は、ドラゴンスピーチをインストールしたノートパソコンも携行し、取材の帰りの運転で、取材した結果を原稿にする際にも、この音声入力を使った。マイクをノートパソコンに繋いで、音声入力をしながら、運転するのだった。地方にいると、取材の移動手段はマイカー運転しかなく、距離が長いと、運転時間が長くなり、この時間を活用する狙いもあった。識別率は変わらなかったが、支局に戻り、文章化された原稿を修正するだけなので、原稿を出稿するのは、他の人間より異様に速かったはずだ。原稿を受け取ったデスクも助かったはずだ。
▽こんな便利なドラゴンスピーチも、利用者が限られたためか、バージョンアップすることなく、しばらくして市場から消えた。マッキントッシュのOSがバージョンアップされて、ドラゴンスピーチは使えなくなり、私も使わなくなった。
▽そして現在だ。音声入力は多くのマシンに標準搭載されている。私が現在メーンマシンで使っているMacMiniM4にも、iPhoneでも、iPadでも使えるようになり、識別率は8~9割になっている。iPhoneだと、簡単なメモを取るにも、音声入力が使える。
▽さらには会議の発言も、音声入力で文章化できる機械やソフトも開発・販売されているというから、四半世紀で音声入力の世界がグッと広がったことになる。
▽ただし、音声入力の欠点が一つある。
▽入力をする時、周囲にはだれもいないことが条件だということだ。周囲の声が入ると、雑音だと認識されて、音声入力が途絶えるし、音声入力を人に聞かれるのも嫌だ。周囲に他人がおらず、一人だけで行うのが、音声入力の条件だ。となると個室かマイカーしかない。
★752取材道具の予備を持つことは大切な一歩だ(2025/10/23掲載)
▽取材現場に行く場合、取材道具の予備を持つのが当たり前だ。しかし、最近の若い記者たちはそういうことすらしようとしないので、私は不思議に思う。
▽群馬県渋川市の朝日新聞渋川支局に勤務していた時のことだ。管内の山林現場で殺人事件があり、デスクの指示を受けて現場に行った。聞き込みなどをしている最中だった。同業他社の若手記者が、大声で叫んでいた。
「カメラにSDカードが入っていない。忘れた」
▽取材の最中なのに、取材を切り上げてマイカーを置いた駐車場に戻っていった。
▽デジタルカメラにSDカードが入っていなければ、撮影はできない。予備のSDカードもないのか、と私は思った。親心を出して、同業他社だが、私の持っている予備のSDカードを貸すことも考えたが、やめた。ここで貸してしまっては、この若者は、この教訓を生かそうとしない。勉強のためだと思って私は貸すのをやめた。
▽古くはフィルムカメラ時代。カメラにフィルムを入れておく事は当たり前だし、予備のフィルムも持っているのが当たり前だった。それが基本だった。
▽デジタルカメラになって、フィルムはコンパクトフラッシュカードやSDカードなどに変わったが、本体にそのカードを入れておくのは当たり前だし、予備のカードを持っていくのも当たり前だ。
▽さらにはカメラの電池切れを心配して、カメラの電池の予備も持っていく事は当然のことと私を思っている。
▽さらには、ストロボの電池の予備も持っていくことを当然だと思ってきいる。
▽カメラに限らない。電子機器の取材道具が増えたことで、例えばスマホも予備の電池を持っていることが当然のことだと思っている。スマホも電池が切れてしまえば全く使い物にならないのだ。外付けのバッテリーケースでもいい。常に予備は用意したほうが良い。
▽取材用の大学ノートも予備が必要だ。ノートがなければメモすらできないのだ。
▽このように取材道具の予備を持っている事は、取材前の大きな準備である。準備ができないと現場でトラブルがあれば混乱する。それを避けるためにも、予備を持つ事は大切な取材の一つなのだ。
▽さらに言うと、私は取材バッグの中に入れているノートパソコンの他に、予備としてキングジムのモペラというワープロ機能だけに限ったマシンも持っていた。当時は折りたたみ式で、文字入力だけができた。これをiPhoneなどを使って送信することも可能だった。
▽取材バッグの中身はこうした予備の道具で次第に重くなってくる。しかし、それは仕方ないことなのだ。
▽道具を満足にそろえることが出来なければ、いつか大失敗し、ツケは自分に回ってくる。
★749パソコンののぞき見防止フィルターは大切な道具だった(2025/10/20掲載)
▽私はモバイル用に使うノートパソコンには、必ず液晶ディスプレーにのぞき見防止のフィルターを着けることにしている。電車やカフェの中でのパソコン作業で、他人にパソコンの画面を見られないためのものだ。しかし、多くの記者はこんなことはしていない。私は不思議に思っている。
▽のぞき見防止のフィルターを着けるようになったのは、もう何年も前からだ。まだノートパソコンがそんなに普及していない時、私は既に電車やカフェでノートパソコンを使って原稿を書いていた。そんな時、気になるのが他人の目だった。電車の中でも周囲の乗客が、ちらちらと私のパソコンの画面を見ているのだ。
▽これは危険だと思った。例えば、私が公安警察の情報をもとにそれを批判する記事を書いていたことにしよう。そんな原稿が他人に読まれては危ない。他人の中には、公安警察の人間がいるかもしれない。その場合、その公安警察刑事は、その場から私の動きを逐一観察し、尾行するだろう。
▽これは大袈裟ではない。私が若いころ、東京で市民運動の集会に参加していた時、公安警察の刑事がずっと私を尾行していたことがある。自宅まで着いてきたことを私は鮮明に覚えている。日本の警察はそんなに甘くない。そして怖い。政府に批判的な行動を取る人間に、公安は目を光らせているのだ。
▽それと同様パソコンに、日本政府の批判的な記事を書く記者がいるとしたら、それは公安のターゲットとなる。
▽だからこそ私はパソコンのディスプレー画面に、のぞき見防止のフィルターを着けているのだ。
▽しかしそんな防止策を取ってる記者は少ない。記者会見会場では、他社の記者のパソコンは丸見えだ。会見だから同じことを取材しているのだから、のぞかれても構わないだろうが、これが独自の取材をして、電車の中やカフェの中でだったらどうするだろうか。危険極まりない行為なのだ。
▽記者は大衆の中で身分を隠し、取材をしていることを悟られないことが大切だ。だからこそ、取材の道具であるパソコンの画面は常に警戒し、のぞき見されないような防止策を取ることが大切だ。
▽決してこれは大袈裟なことではない。
▽私はノートパソコン以外にも、これまで使ってきたガラケーの携帯電話や、今のiPhoneでものぞき見防止のフィルターを着けている。電車の中で覗き見されないためだ。
▽記者はこうした慎重な行動と態度を取ることが取材の一歩である。私はそう信じているからこそ、まだノートパソコンにはのぞき見防止のフィルターを着けている。記者の生命を守るため、決して大袈裟なことではないと私は思っている。
★745スマホ2台持ちの苦痛(2025/10/14掲載)
▽今から15年ぐらい前だろうか、朝日新聞で私が現役時代、会社から貸与されていた携帯電話がスマートフォンに代わり、私は個人のスマホであるiPhoneとの2台持ちになった。スマホが2台になったことで、自由に使えると喜んだのもつかの間、これが結構,苦痛となるとは思わなかった。
▽携帯電話が貸与されていた時は、純粋な電話機だったので、問題なかった。しかしスマホとなると会社からのインターネット上のメールなども受信してくる。そのメールが異様に多く、何回も何回もこの貸与されたスマホを見ることになった。もちろん貸与パソコンでメールを見ることも出来るが、取材の移動中などで、パソコンを開くことが出来ない状態では、この貸与スマホを見ざる得ないのだ。
▽おまけに地方にいると、取材の移動はマイカーを使うため、運転中は信号が赤信号になれば、いちいち貸与スマホを見ることになった。
▽最初は自動転送して、私のiPhoneに転送すればよかったが、会社は情報漏れを理由に自動転送を禁止したから、私は会社のスマホとiPhoneを交互に何回も何回も見る日々となってしまったのだ。
▽特に総選挙など、新聞社にとって大きなイベント取材が近づくと、本社からの選挙に関する取材命令が異様な数でメールで届く。しかもそのメールには異様なほど添付ファイルが多く、それを開くのも苦痛だった。
▽私は昔から自分の携帯番号を取材先に伝えており、自分のスマホであるiPhoneを手放すことは出来なかった。電話番号を二つ持っていたことになる。会社からかかってくる電話は貸与されたスマホに取り、昔からの取材先からは自分のiPhoneにかかってくる仕組みだった。だから私はそれぞれのスマホとiPhoneのそれぞれケースをズボンのベルトにつないで持っていた。要するに二丁拳銃だった。自分のスマホを手放す人間もいたが、会社をいつか辞めた場合、その会社から貸与されたスマホは使えなくなるのだから、自分個人のスマホを手放すわけにはいかなかった。
▽会社を辞めて、貸与されたスマホを返却し、私の持っているスマホはiPhoneの1台になった。やっと苦痛から逃れたことになった。
▽今でも二丁拳銃をしているサラリーマンを時折見かけるが、同じような苦痛を味わっているのだろうなと私は勝手に思ったりする。
▽このようにしてスマホの2台持ちはサラリーマンにとっては、苦痛そのものだった。
★740中古カメラ販売にシャッター回数を記さないのはおかしい(2025/10/07掲載)
▽私は新聞記者という職業柄、取材する際は常にカメラを携行していた。だから、最近のカメラ売買状況も気になる。特におかしいと感じるのが、中古カメラの販売店で、カメラのシャッター回数を記さないことだ。カメラ本体の耐久性に密接に関係する数字なのに、中古店の多くは、その回数を表示していない。
▽取材にカメラ撮影はつきものだと思っているので、それ故、会社を辞めた現在でも、カメラの販売状況は常に気になって見ている。時折、ヨドバシカメラやビックカメラなど、大型カメラ店のカメラ売り場も見て回るし、インターネット上で売買している中古カメラも見ている。その中で気になることが、中古カメラ、特に一眼レフのデジタルカメラのシャッター回数を、店側が伝えていないことなのだ。
▽一眼レフのカメラは、フィルムカメラでもデジタルカメラでも、シャッターユニットというのがあり、メーカーや機種によって耐久性が違ってくる。シャッター回数が多ければ、シャッターユニットは次第に劣化していく。つまり撮影すればするだけ、カメラの心臓部であるシャッターユニットは耐久性が落ちていく。
▽メーカーはそれぞれの機種について、耐久性の目途をシャッター回数で示している。私が持っているプロ仕様のニコンD5だとシャッター回数は40万回、セミプロ用のニコンD500だと20万回という数字を出して、耐久性の限度だとしている。これ以上使うことも出来るし、その数字以下の回数で壊れることもあり、一応の目安だ。
▽しかし中古店では、実際に売り出している中古カメラのシャッター回数を表示している店は少ない。大手のソフマップでも、ヤフオクで出品している中古カメラ店でも、「このカメラがどのぐらいシャッターを切っているのか」という表示はない。
▽それも調べる道具がないとか、回数を悪用して売っている場合がある、という言い訳をしている。
▽これらは完全な嘘だ。デジタルカメラのシャッター回数は、ウィンドウズのアプリケーションや、Appleのプレビューのアプリで、シャッター回数をすぐに調べられる。調べられるのに、隠しているのだ。それを隠して、売ろうとしているのだから、ある意味、悪質な商売だ。
▽例えば中古車の販売ならば、中古車の走行距離をきちんと示して売っている。車検は何年という数字も出している。中古車業界は、きちんとそうしたルールが守られている。
▽しかしカメラの中古売買は、そうしたルールがなく、このカメラがシャッターを何万回切っているのか、分からないまま売っているのだ。
▽カメラには耐久性というものがある。一定数のシャッターを切れば、シャッターユニットは劣化する。ユニットは壊れる。シャッターユニットが壊れたらそのまま交換すれば良いのだが、そうした説明もない。
▽時代はデジタルカメラからデジタルのミラーレスカメラに変わった。ミラーレスはシャッターの耐久性は関係なくなったが、それでもシャッター回数は目安となる。どのぐらい使ったかわかるのだ。中古カメラ売買では、ミラーレスも含めてどのぐらい使ったのか、シャッター回数をきちんと書いてもらいたいと思う。
▽こんなことを書くのは、最近の一眼レフのカメラが高級化し、高価なものであるためだ。だからシャッター回数を示さない中古カメラは買わない方がいい、と私は思う。
★739原稿用紙はかなり昔の道具になってしまった(2025/10/06掲載)
▽昔の新聞記者のバッグに入っていたもので、今の新聞記者にはバッグにはないものは何か。カメラは昔も今もあった。取材の大学ノートもそうだろう。なくなったのは原稿用紙だ。
▽私が新聞業界に入ったころ、新聞記者は原稿用紙を使って手書きで原稿を書いていた。だから常に原稿用紙をバッグに持っていた。
▽何回も何回も書き直して、やっと書き上げた原稿をキャップに手渡すと、キャップは「あーでもない、こーでもない」と言いながら、原稿を直していく。原稿用紙の余白に書き込んでいくから、原稿用紙は塗り絵のような、パズルのようなものになっていった。直されなかった事は全くなかった。すぐにゴミ箱に放られることはなかったが、自分が書いた原稿が、自分のものではなくなっていた。
▽その直された原稿をキャップは今度はデスクに渡し、デスクがさらにまた原稿を直していく。
▽そしてようやく整った原稿を、ファックスで本社に送るのだ。
▽当時のファックスはまだ精度が高くなく、細くてインクの薄いペンで原稿用紙に書くと、受け手は原稿用紙の文字が読めなかった。だから、原稿用紙にはやや太いサインペンのようなものを使って書いていた。
▽新聞社には新聞社それぞれ独自の原稿用紙が用意されており、記者はその原稿用紙を持って取材に向かっていた。
▽原稿用紙に書くスタイルも各社違っていた。朝日新聞は1枚の原稿用紙にはわずか1行15字の原稿用紙を使っていた。1行書いたら、キャップに手渡していくのだ。こうすることで入力する側に1行でも早く手渡しできるからだ。しかも朝日新聞は濃い鉛筆を使っていた。
▽他社に比べ朝日新聞は原稿用紙を大量に持っていたと思う。
▽原稿用紙に原稿を書かない勧進帳という方法もあった。これは頭の中で原稿を整理し、電話で吹き込むのだ。吹き込んで送った原稿は受け取った側が原稿用紙に書いていった。
▽新聞社にとって原稿用紙は必要不可欠なものだった。地方支局でも常に大量の原稿用紙を用意していた。
▽あの原稿用紙を使っていた時代、キャップやデスクに手直しされた痕跡が残る時代が懐かしい。
★710フィルムカメラのフィルムは節約して使っていた(2025/08/21掲載)
▽「切りげん」という言葉をご存じだろうか。
▽その昔、カメラがフィルムカメラだった時代、フィルムは貴重な道具の一つだった。今と違ってフィルムカメラは、1本につき36枚しか撮影出来なかった。使い切れば、フィルムを交換せざる得ない。交換する作業の時間が無駄になるから、シャッター回数を少なくして、何枚も何枚も撮るという連写は出来なかった。
▽だから取材の撮影は、必要最低限の枚数を撮ったら、暗室でカメラの裏蓋を開けて、使った分のフィルムだけをはさみで切って現像していた。ロールに残ったフィルムは、次の取材ででさらに使うのだ。
▽これを「切りげん」と呼んでいた。フィルムを切って使うから、「切り」なのだが、「げん」が、「原稿」の「げん」なのか、元を残すための「げん」なのかは定かではない。
▽私も先輩から習って、この「切りげん」作業を覚えた。
▽仮にある取材撮影でシャッターを10回切ったならば、残りは26枚撮れることになる。暗室で現像するため、カメラの蓋を真っ暗な暗室で開けて、数枚分をロールから引っ張って、はさみで切る。そしてこの「切りげん」で、撮影した部分を現像するのだ。ロールにはまだ未使用なフィルムが20枚分以上残っていて、これを次の取材で使う。
▽まさに節約した取材方法だ。
▽だから現在のデジタルカメラやミラーレスカメラのように何十枚、何百枚もシャッターを切っても大丈夫というわけにはいかなかったのだ。シャッターチャンスも少なかったことになる。
▽少しずつ撮影しては、節約していった。無駄遣いは許されなかったのだ。
▽今のデジタルカメラやミラーレスカメラで連写すれば、それだけシャッターチャンスは多くなる。多くなる一方で無駄な撮影も多くなる。無駄な撮影だからこそ、シャッターチャンスも多くなると言えるが、昔はそんな発想は全く出来なかった。
★683朝日新聞の記者用辞書と広辞苑
▽新聞記者の現役時代、原稿の執筆には常に辞書を机の上に用意し、使える漢字や用語、使えない漢字や用語を確認して作業をしていた。それがもう何年も前から、そんな作業をしなくなった。そう、会社から支給された貸与パソコンに、その辞書機能が導入されたためだ。この影響で、最近の若い記者は辞書を開く習慣がなくなったとも言われている。
▽新聞社各社は、それぞれ独自の用語の基準を定めており、社員には独自に作成した辞書を配って、用語の統一をしている。「風光明媚」を「風光明美」と言い換えるのもその一つだ。
「教育に新聞を」という新聞業界のホームページではこううたっている。
《新聞で使われる用字用語は教科書と異なります。漢字について、教科書は地名や人名などの固有名詞を除き「常用漢字表」の2,136字しか使っていません。新聞も「常用漢字表」にない文字は使わないことを原則として、中学生でも読めるように、やさしい言葉づかいを心がけています。
新聞の場合、使えない漢字を含む言葉は次のように書き換えます。
1▽常用漢字による「書き換え」(例:諒解→了解)
2▽漢語全体の「仮名書き」(例:懺悔→ざんげ)
3▽漢語の一部を仮名書きにする「交ぜ書き」(例:円錐形→円すい形)
4▽別の言葉に置き換える「言い換え」(例:軋轢→摩擦、いざこざ、不和、あつれき)》
▽以前は使えなかった用語が最近は使えるようになった例もある。納得しないという意味で使う、「腑に落ちない」は、最近では「腑に落ちる」と使う社も出てきた。驚くが、それぞれ独自の新聞社の用語の決め方だ。
▽朝日新聞では記者専用の辞書「朝日新聞の用語の手引」があった。
▽この辞書を常にバッグに入れておき、原稿を執筆時はこの辞書を引きながら、原稿を書いていった。ときには広辞苑も使ったりした。この朝日新聞の用語の手引きはかつて表紙が赤かったことから、社内では「赤本」と呼ばれていた。
▽この赤本は数年に1回改定され、統一する用語の変更や、今後使ってもいい用語を採り入れるようにしている。漢字ばかりではなく、カタカナ表記の外国語の地名や大統領名なども変更していった。
▽そんな当たり前だった作業、つまり原稿執筆作業でその辞書を使わなくなったのはもう10年以上前だろうか。原稿執筆がワープロからパソコンに変わり、朝日新聞独自の原稿入力システムが完成し、記者はこのシステムで原稿を打つことになった。その際、導入されたのがこの赤本の用語点検システムで、原稿書いた後、校閲作業というアプリを使うと、使えない漢字や使えない用語などを瞬時に検索し、正しい漢字や用語を示してくれるのだ。変換作業もしてくれる。
▽これは便利になったと思った。赤本を持つ必要がないのだ。このシステムで、多くの記者は赤本を持つことがなくなった。
▽一方で赤本を見なくなったため、最近の若い記者は朝日新聞独自の用語のシステムや漢字の使い方を知らなくなった。自主的に赤本を開いて読むこともなくなった。広辞苑を開く記者などいなくなった。
▽言葉の表記を統一にすることは大切だが、物の考える力、ボキャブラリーの少なさを危険だと感じるものはいないのだろうか。
★673新聞記者にとって大切な道具だったラジカセ
▽ジョガーの私にとって、ラジカセは新聞記者として大切な必需品だった。ニュースを録音する時にずっと使ってきた。しかしもう何年も前からラジカセではなく、iPadを利用するようになり、ニュース録音グッズとしての役割は終えた。ラジカセを取材道具として使うことはもうないのだろう。
▽私は毎朝、ジョギングを日課としてきた。5時ごろ起き出して、新聞各紙に目を通してから、6時半過ぎにジョギングをスタートさせる。場所にもよるが自宅周辺やサイクリングロードなどを走り、約1時間で戻った。こんな生活をずっと続けてきた。
▽この走っている間の午前7時からの朝のニュースを聞くことが新聞記者にとっての日課であるが、走っているため、聞くことは出来ない。このため、ラジカセでNHKのラジオニュースを録音予約して、ジョギングに戻ったら聞いていた。シャワーを浴び、髭剃りをして、朝のニュースをチェックしていた。これが毎日の日課だった。
▽もちろん、警察担当などで忙しい時はジョギングすらできなかったが、警察担当を離れてからは毎日ラジカセで朝のニュースを録音し、ジョギング後に聞いていくという日課が続いていた。新聞記者の私にとって、ラジカセは必要な道具だった。
▽そのラジカセがiPadの出現、そしてNHKアプリの登場で変わってしまった。NHKアプリに「聞き逃しサービス」があり、ラジカセで録音しなくても、7時のニュースを後で聞くことができるのだ。
▽このためここ数年前からはジョギングをした後、iPadのNHKアプリを立ち上げて、その聞き逃しサービスの配信でラジオニュースを聞いている。シャワーを浴び、髭剃りをして、朝のニュースを聞き逃さない毎日を送っている。
▽新聞記者にとって早朝届く新聞各紙を点検することや、朝のニュースを聞くのは必要不可欠な作業だ。取材のスタートは毎日各紙を読み込み、ニュースを聞くことから始まるものだと思っている。自分の担当する分野で、他社が先がけてニュースを流していたならば、それを追いかけなくてはならないし、他紙が面白い記事を書いていたら、それを読んで参考にすることも必要だ。ラジオニュースでは夜中に新しいニュースが入っていないかを点検するのだ。これは新聞記者のイロハだ。
▽私は基本的に朝のテレビニュースは見ていない。ラジオがニュースの道具だ。朝のテレビニュースは冗漫で時間が長く、ニュースを絞っていないので、時間の無駄になっていることが多い。そのため私はテレビのニュースは朝見ていない。
▽ラジカセは私の長い新聞記者生活の中で、大切な道具だった。そのラジカセも必要なくなっているのだ。
★655ミラーレスカメラ3強時代で勝ち残るメーカーはどこだ
▽一眼レフのミラーレスカメラで、朝日新聞がプロの報道陣のカメラについて興味深い記事を載せていた。2024年夏のパリ五輪で、報道カメラマンが使っているカメラは、日本製のニコン、キャノン、ソニーの一眼レフミラーレスカメラがしのぎを削っており、三つ巴の争いをしていると言うのだ。
▽まずはその記事から紹介しよう。
《パリ五輪・パラリンピックでは、日本のカメラメーカーもしのぎを削っている。スポーツ写真の分野で長年シェアを競ってきたキヤノンとニコン。そこに新興のソニーが加わり、パリ五輪で「3強」の構図ができあがった。戦いの主役は各社の旗艦モデルが出そろったミラーレスデジタル一眼カメラだ。
▽競泳競技の会場となったパリのラデファンス・アリーナ。階段状の撮影席では決定的な瞬間を逃すまいと、撮影者らが一心にファインダーをのぞき込む。
▽スポーツ写真などに使うプロ向けの機材では従来、キヤノンとニコンがシェアを分け合ってきた。望遠レンズの色がキヤノンは白色、ニコンは黒色。世界中から腕利きの撮影者が集まる五輪でのシェア争いは「白黒戦争」とも呼ばれてきた。
▽パリ五輪では、その様相が変わった。望遠レンズはキヤノンと同じ白色だが、ストラップに記された「SONY」のロゴが目立つようになった。ばらつきはあるようだが、3社が拮抗(きっこう)しているようにみえる競技もある》
《ソニーはコニカミノルタのカメラ事業を06年に買収して参入。当初からミラーレスに注力し、一般向けではキヤノンと首位を争うまでになった。
▽しかし、過酷な環境でも撮影できる耐久性が求められるプロ向けでは、キヤノンとニコンの歴史に裏打ちされた「信頼」の壁が厚かった。
▽転換点は東京五輪だ。ソニーは旗艦モデル「α1」を投入。自動で被写体にピントが合う「AF(オートフォーカス)」性能が高いほか、炎天下でも機材にトラブルが起きず、評価を高めた。プロ向けの市場で、さらなるシェアの拡大を狙うという。
▽本体だけで数十万~100万円以上する旗艦モデルは、最新技術を投じた、メーカーの顔となる存在だ。スマートフォンに押されてカメラ市場が縮小する中で、五輪は絶好の宣伝の機会となる》(2024年8月7日付朝日新聞)
▽新聞記者を40年間続けてきた私にとって、やはり驚くのはソニーの一眼レフミラーレスカメラがこんなに使われているという実態だ。
▽私が新聞業界に入った時は、カメラマンが使うカメラはニコンかキャノンだった。ニコンは頑丈な作りで、北極海のような寒さの中でも、砂漠のような暑い場所でもカメラのシャッターが切れた。私の知り合いのベテランカメラマンは、
「こんな丈夫なカメラは、他のメーカーでは作れない」
と断言していた。
▽これに対してキャノンはカラー写真で他社の追随を許さなかった。まだまだカラー写真の導入が進んでいなかった新聞業界にとって、キャノンは新しいカメラの時代を迎えるに当たって、カラー画質を改良していた。こんな時代だったので、私も当然のようにニコンのカメラを買い続けてきた。
▽だから新聞社ではニコンかキャノンか、という二つの選択肢しかなかった。ソニーなどは全くなかった。
▽ソニーがやはり一眼レフのカメラ市場に進出したのは、ミラーレスカメラの開発が大きい。これまでの一眼レフのカメラと違い、ミラーレスカメラは、シャッター音が非常に小さい。シャッター音を嫌うようなイベント取材で、ソニーは急速に需要を拡大した。
▽私は「ソニーなんか」と馬鹿にしていたので、ここまでソニーがプロのカメラマンに愛されるになったとは驚きだ。事実、朝日新聞のカメラマンも一部でソニーのカメラを使い始めている。
▽ミラーレスカメラの市場拡大とともに逆に縮小しているのが、これまでの一眼レフカメラであり、コンパクトカメラだ。コンパクトカメラの場合、iPhoneに代表されるスマホの機能拡大で、スマホに掲載されたカメラがコンパクトカメラ以上の性能を持つようになり、市場は急速に縮小している。
▽私が新聞業界に入った時、キャノンはオートボーイという小型のコンパクトカメラを造って人気を集めていたが、記者にも人気があった。もう、そんな時代は来ないのかもしれない。
▽いずれにせよミラーレスの一眼レフカメラのプロ仕様は、価格も高い。それでもプロ以外でもアマチュアカメラマンがこうした高価なカメラを手にする時代になっているのだ。撮り鉄を見ると、驚くほど高価なカメラを持っているので、驚くことがある。
▽一眼レフのミラーレスカメラは、高級化志向を進めていくのだろうが、このニコン、キャノン、ソニーの3社で勝ち残るのはどの社だろうか。
★646モータードライブを付けたカメラのシャッター音が好きだった
▽私はフィルムカメラでモータードライブを付けたシャッター音が好きだった。ガチャガチャガチャ、という高速音が何よりもプロらしい音に聞こえたのだ。しかし、時代はミラーレス時代、シャッター音が消えている。何か寂しい気がする。
▽フィルムカメラにモータードライブをつけて連写する。すると1秒間にシャッターが何枚何枚も切れて、ガチャガチャガチャという高速音がする。この何とも言えない音が私が好きだった。
▽モータードライブは当時高価なもので、主に写真部のプロのカメラマンが使っていた。一般の記者は高くて手が出せなかった。だから憧れた。少し歳をとり、金が少し自由になって、やっとニコンのカメラにモータードライブを取り付けることが出来た。
▽ガチャガチャガチャたと連射する。これが魅力的だった。私はにんまりしていた。
▽東北の宮城県塩釜市の朝日新聞塩釜通信局に勤務していた時だ。全国的に有名な神社である塩釜神社で、走っている馬に乗って、弓矢を射る流鏑馬の儀式があった。その取材をした。
▽馬を走らせて、その上から騎手が弓矢を的に放つ。シャッターチャンスはわずか1回。私は買ったばかりのモータードライブをニコンのカメに付けて、その瞬間を撮った。シャッタースピードは500分の1秒。シャッターチャンスは1回だけ。見事に弓矢が離れた瞬間が撮影出来た。モータードライブの本領発揮だった。
▽時代が変わって、フィルムカメラがなくなり、デジタルカメラになった。ニコンもデジタルカメラ生産を切り替えて、プロ仕様のニコンDシリーズが発売された。現在はD6まで出ているが、連射するときの音はモータードライブに近い音だ。これも私をかき立てた。ガチャガチャガチャ。格好いいのだ。
▽しかし時代はミラーレスカメラ時代になった。基本的にミラーレスカメラに音は出ない。カシャカシャという音を出すだけなのだ。しかもこれはわざと作られた音で、擬音に近い。音も小さい。モータードライブの音に憧れた私にとっては不満そのものだ。
▽ただし時代はモータードライブのような音が出ないカメラを求めている時もある。芸能界の記者会見では、主催者側が音を出さないよう求める場面が多くなった。このため、ミラーレスカメラでは先行してるソニーのカメラが売れるようになったと言うのだ。朝日新聞のカメラマンも、ソニーのカメラを使い出している記者もいる。静寂な中で写真を撮影するしかないのだろうか。
▽あのフィルムカメラのモータードライブの音が懐かしい。もう戻ってこないのかもしれない。
★639取材には大学ノートかメモ帳か
▽新聞社に入社すると与えられる道具の一つに、大学ノートとメモ帳がある。取材ではどちらを使っても自由だが、私はもっぱら大学ノートを使ってきた。
▽どちらもプラスとマイナスがある。大学ノートは大きいので、どうしてもバッグに入れて携行する必要がある。反面、メモ帳は小さいので、上着のポケットに入る。携行しやすい。
▽大学ノートは1ページの面積が広いので、相手の話を見開きページを使って書いていけば、より多くの情報を一望できる。メモ帳はそういうわけにはいかない。何ページも使ってしまう。
▽だから私は、いつのころか、メモ帳で取材するのをやめて、大学ノートに頼りになった。その上、格好悪いが大学ノートを縦型に二つ折りにして上着のポケットに突っ込んでいた。これが私のスタイルになった。
▽相手から話を聞き、大学ノートに書き留めていくのだが、ある時は、図表を書いたり、ある時は赤ボールペンなどで大切な部分に印をしたりと、大学ノートの方が取材には便利だった。「大は小を兼ねる」とは、よく言ったもんだと感じた。
▽最近の記者は、会見でもノートやメモ帳でメモを取らず、いきなりパソコンに会見内容を打ち込んでいくことを命じられていて、そのことに終始してしまい、質疑に参加できないような状態になっている。キャップに対する「メモ上げ」だ。会見内容を正確にメモをして、キャップに報告する文化になってしまっている。要するに、最終判断はキャップが行うのであって、現場記者は判断などしなくていい、というルールになっている。これでは現場記者の判断力を奪い、まともな取材ではない。
▽この「メモ上げ」文化は政治部が昔から行っているルールで、それに社会部や経済部が導入している。現場記者がメモを自由に取ることが出来ず、まともな取材も出来なくなっているようで、会見取材が形骸化している。
▽会見に限らず、取材は自分の判断で行い、疑問があれば、疑問をぶつけていく。そのためには大学ノートでメモをして、疑問を記しておく。ノートでの取材をしないと、こんなことすら出来ないような気がする。ノートでの取材は大切だし、大切な道具だ。
★591スマホとパソコンの返却でホッとした退職時
▽33年5カ月勤務していた朝日新聞を退職するにあたって、貸与されていたスマートフォンとノートパソコンを会社に返却した。宅配便で返却して、ホッとしたことを覚えている。毎日に何回も何回も届く電話の着信とメールの嵐から解放されると安堵感を持った。
▽かつては、ポケットベルだけだった。そのポケベルが携帯電話になり、そして最後はスマホになった。パソコンも同じだった。最初はワープロ。そしてノートパソコンが支給された。いずれも会社のものだから、会社を辞める時点で返却する必要があった。
▽ポケットベルにしろ、携帯電話にしろ、スマホにせよ、ともかくよく鳴った。休日だろうが、旅行先だろうが、原稿の問い合わせや取材の指示でポケベルならビー、ピー、ピーと鳴った。数分おきにポケベルを何十回も鳴らされた経験もある。近くに公衆電話がなかったから、すぐに電話は出来ないのに。せっかちなデスクだなと思った。携帯電話なら着信音が鳴った。最後はマナーモードにして、バイブレーターが振動した。
▽個人的にはiPhoneを使用していたので、ズボンのベルトに二つのスマホケースを通して、二丁拳銃として貸与スマホとiPhoneを持ち続けていた。そのスマホは1日に何回も何回もバイブレーターが作動した。デスクからの原稿の問い合わせや、指示、さらには仲間や部下からのお知らせだった。
▽対応パソコンも同じような扱いだ。原稿を書く時や会社のメールを使う時は、この貸与パソコンが必要だった。原稿は毎日のに書いていたし、メールは1日で多い時、数十通も来た。これを全部読み通さないと仕事にならないことが多かった。特に大型選挙中は、デスク経由で本社からの指示が大量にあり、読むことですら、大変だった。
▽貸与パソコンは社内イントラネットで接続する必要があり、セキュリティーが高く、使いづらいマシンだった。性能も高くなく、私はこのウインドウズマシンを、「クソパソコン」と呼んでいた。ちなみに私は30年間のマックユーザーだ。
▽退社時にスマホや対応パソコンを返却し、そういう煩わしさがなくなったのが一番ホッとしたことだった。これで日常のルーティンワークから離れる。そういう嬉しさがあった。
▽働き方改革と言われているが、こと、朝日新聞のスマホを見る限り、そんな改革はなされていなかった。現状はどうなっているかわからないが、たいして変わらないだろう。
▽一方で、スマホを鳴らしても全く応答のない記者もいると聞く。こういう記者は、スマホもパソコンも見ないのだろう。それはそれで立派な社内ルール違反だが、私には出来なかった。
★588今も昔も通信手段の確保を一番に考えたい
▽新聞記者にとって取材したものを原稿にして送る場合、その通信手段を考えなくてはならない。それは今も昔も一緒だ。しかし最近の記者を見ていると、通信手段を確保するという大切な心構えができていないような気がする。
▽例えば、現在ならば事件事故や災害の現場では、パソコンで原稿を書き、その原稿を本社のホストコンピューターに送る場合、モバイルのデータ通信機器を繋げるか、モバイルルーターを使って送ることが多いだろう。しかし、その機器の通信が途切れた場合どうするのだろうか。災害現場ではインフラが故障して、通信手段がないことが多い。その場合、どうすべきなのか。この万一の事態を常に頭に入れておきたいが、最近はそうした危機感がないように思われる。
▽例えばドコモの通信機器を使っていて、ドコモのインフラが故障した場合、どうすべきか。その場合予備としてauやソフトバンクの機器も予備として持っておくことが正しい。危機管理の問題だ。
▽データ通信もモバイルルーターも使えないなら、パソコンによる原稿送稿を諦めて、電話による吹き込みをするしかない。近くの公衆電話を捜すか、民家に飛び込んで電話を借りるのだ。
▽またその場合の受け手、本社なら社会部の内勤勤務の記者、地方なら支局のデスク記者が、吹き込まれた原稿を、そのままパソコンで打っていく作業も必要になっていく。そうした訓練が出来ていない気がする。
▽こうした通信手段の確保は、昔も課題だった。事件事故や災害現場で、原稿を送る場合、当時は手書きだったから、電話で吹き込むしかなかった。現場の近くに民家があれば、民家にお邪魔して、電話を借りた。また公衆電話があれば公衆電話を使った。無線機があれば無線を使った。
▽こうした通信手段の確保を頭に入れておかないと、いくら原稿を書いても原稿を送れないのだ。特に現在のように、公衆電話が次第に少なくなると、通信手段の確保はさらに困難になる。通信手段の確保を常に既に念頭に入れながら、現場取材をしてほしいと私は思う。
▽今も昔も通信手段の確保は、最初に考えるべき課題だ。
★561バックアップで使う外付けハードディスクに注意
▽自宅のパソコンに繋げていた外付けハードディスクが壊れてしまい、保存していたデータがすべて使えなくなった。バックアップ用として使ってきたが、わずか3年もたたずに壊れた。写真も原稿も取材用のデータも駄目になった。ハードディスクには寿命があることを改めて思い知った。今後の教訓として、1台のハードディスクにバックアップをすべて任せるのではなく、二重、三重のバックアップ体制が必要だと思った。
▽私は個人でアップル社のマックを長い間使ってきた。会社の仕事ではウインドウズマシンを使っていたが、通常の仕事でも個人の作業でもマックを介して使ってきた。原稿や写真、動画、取材用のデータなど様々な情報を扱ってきた。
▽マックのデータ保存には、かつてはフロッピーだったが、ZIPドライブなどの記憶装置に変わり、最終的にハードディスクに変化してきた。これと平行して容量の小さいデータには、SDカードやUSBメモリーなども使ってきた。
▽外付けハードディスクも容量が大きくなり、写真や動画を保存するには、ハードディスクの方が便利だったので、結局ハードディスクがデータの保存装置としては最適なものとなってきた。
▽しかし、だ。ハードディスクには寿命がある。3〜5年ほどの期間があり、いつ壊れるか分からないまま使ってきた。
▽壊れた時が痛い。急に動かなくなる。急にアクセス不能になるのだ。マックの本体に、2台のハードディスクを内蔵したマシンも使ってきたが、一方が壊れると、もう一方のハードディスクも動かなくなるというトラブルも経験した。バックアップはやはり外付けハードディスクが一番だ。
▽であるなら、壊れる前に外付けハードディスクを買い替えるのが安全だ。
▽これとともに、USBメモリーや外付けSSDでのバックアップも行った方がいい。
▽外付けハードディスクを使うならば、2〜3年に1回買い替えをすべきであり、さらには別の記憶媒体を使うことをお勧めする。
★546テレホンカードと現金は必需品だ
▽使わなくなった道具の一つとして、テレホンカードがある。携帯電話やスマホの普及で、全国の公衆電話が少なくなり、それに伴って次第にテレホンカードも使われなくなった。私の手元にはまだ数枚のテレホンカードがあるが、使う予定など全くないのだ。
▽一時は何枚も財布に入れていた。ポケットベルが鳴れば、公衆電話を捜して、テレホンカードで電話をかけた。これが日常の生活だった。テレホンカードは仕事に欠かせない道具の一つだった。
▽しかし、ケータイ電話の普及、そしてスマホとインターネットの普及、さらにはキャッシュレスの普及で、公衆電話はなくなり、テレホンカードの出番はなくなった。
▽今、テレホンカードを持ち歩いている人がどのくらいいるのだろう。
▽だが、待てよ、と思う時がある。
▽阪神大震災や東日本大震災で分かったように、社会的インフラが破壊され、インターネットも使えないような事態の場合、携帯やスマホは全く利用できない。その場合、公衆電話が便利だ。電話線が生き延びていたら、通話ができるのだ。その際、テレホンカードはあったほうが良い。
▽インターネットが使えなければ、キャッシュレスのPayPayやQUICPayなども使えなくなる。クレジットカードも使用できない。こうした時は現金が便利だ。
▽つまりテレホンカードや現金は最低限、持っていったほうが良いということになる。いくらインターネットが進み、キャッシュレス社会になったとしても、万一を考えると最低限のテレホンカードと現金は持ち歩いた方が良いということだ。
★542昔は赤電話代金なるものが支給されていた
▽朝日新聞に私が入社した時、しばらくの間、「赤電話代金」というものは請求できた。1カ月に1000円か2000円程度の金額だったが、詳しくは覚えていないが、そんなに高額な金ではなかった。この赤電話代金とは何か。
▽当時はポケットベルがはやり始めた時だが、現代のように携帯電話やスマホなどなく、電話は固定電話のみだった。現場記者の場合、デスクやキャップと頻繁に電話交換をするから、電話は欠かせない。このため10円玉を使って、赤電話をかけていた。
▽警察署や市役所等ーなどの役場には、玄関に必ず赤い電話があった。通所「赤電話」。10円玉を入れて電話をかける。市内だと3分で10円だ。長い時間かけるなら10円玉もそれなりに必要で、どんどん10円玉を投入していった。電話もブッシュ式ではなく、ダイヤル式の電話だ。
▽この赤電話代が朝日新聞としては必要経費として実費請求が認められ、1000円か2000円を請求していたのだ。これが「赤電話代」だった。
▽しかしそんな時代も、次第にボックス型の公衆電話が普及し、テレフォンカードによる電話になり、赤電話の存在が少なくなってきた。このため、赤電話代金の請求も実際はできなくなった。
▽あの時代、新聞記者は10円玉を大量に持ち歩いていた。その重みをかなりのものだった。赤電話の場所も頭に入れておく必要があった。
▽あんなに10円玉を持っていたなんて、今なら信じられないだろう。10円玉は貴重な取材の道具だったし、赤電話もその貴重な道具の一つだった。もう昔の話だ。
▽こうして見ると、数十年の単位で、通信手段、通話手段が次第に変化していることが分かる。道具の栄枯盛衰だ。
★530インマルサットと衛星電話のテスト通信に苦労
▽私が新潟県佐渡市の朝日新聞佐渡支局に赴任した時、支局には衛星電話のセットがあった。この衛星電話、使い勝手が非常に悪く、通信をするのに苦労した記憶が残る。
▽衛星電話のセットとは、KDDIが展開する衛星電話システムで、朝日新聞などの企業が契約している。
▽ホームページにはこうある。
《インマルサットサービスは、インマルサット静止衛星を通じて、インマルサット設備と電話・テレックス・データ端末やインターネットを結ぶ通信サービスです。船舶と陸地、あるいは通信設備のない山奥や被災地との通信を可能にします。赤道上空36000キロメートルの位置に配置された4機の静止衛星で、極地を除く全世界をカバーしています。音声通話から最大492kbpsのデータ通信まで幅広く対応します》
《インマルサット衛星通信の各種端末で、安定した電波を受信するための理想的な使用環境は、南側に障害物(地形・建造物など)がない場所です。インマルサットサービスは赤道上空36000キロメートルにある静止衛星と通信を行っています。日本国内では、南側の空が開けていることで、衛星をとらえ、通信ができます》
▽佐渡支局は、日本海に浮かぶ離島ゆえに、万一の災害、大事件、大事故に備えて、こうしたシステムを設置したのだろう。この考えそのものは正しい。佐渡島では携帯電話が使えない場所も多く、万一のことを考えると、頼もしいシステムだとも思っていた。
▽しかし使い勝手は非常に悪かった。
▽セットはやや大きなアンテナと電話部分からなり、これをパソコンにつないで、衛星電話経由のインターネット接続を行う。アンテナ部分を南の空に向け、電波を拾うのだが、意外にこれが難しい。電波状態が悪かったり、アンテナ方向が悪いと、受信ができず、なかなか接続できないことがあった。
▽本社からは1年に1回、この衛星電話のテスト通信を命じられており、佐渡支局から、または山間部に移動して、接続できるのかどうか、テストすることを義務付けられていた。
▽テスト受信にやっと成功しても、何も褒められるわけでもないのだ。
▽この衛星電話のセット、私が佐渡支局に勤務していた3年4カ月、実践では全く使う事はなかった。大きな災害も、大事件も起きなかったためだ。この衛星電話セットが使われないまま私は佐渡支局を離れた。これは大変喜ばしいことだった。
★517地方支局ではドライヤーは必需品だった
▽新聞社の地方支局では、ドライヤーは取材道具の一つで、必需品だった。あの髪を乾かす電気製品だ。現像したフィルムを乾かしたり、焼き上げた写真の印画紙を素早く乾かすのに使っていた。
▽デジタルカメラが定着する、かなり以前の話だ。私が新聞業界に入った時、撮影するカメラはフィルムカメラだった。撮影したフィルムは、現像液で現像し、水洗いし、乾かした。通常は部屋の中につるして、自然乾燥で乾かすのだが、急いでる時はドライヤーを使った。ただし、ドライヤーの強い風と熱で、フィルムが変形する恐れがあるため、ある程度風量を調整して、風を当てて、乾かしていた。
▽変形以外でも失敗もある。現像したフィルムの水洗いが一律に行っておらず、ムラがあると、そのままドライヤーで乾かすとムラが残ってしまうのだ。ムラがあれば再度水洗いしなければならないので、時間の無駄になる。急いでいるのに、逆に作業が遅れてしまうのだ。
▽写真を焼いた印画紙も、ドライヤーを使った。水洗いし乾かすのだが、乾くまで写真を送れない。このため、急いでいる時もドライヤーを使って写真を乾かした。濡れた印画紙にドライヤーの風を当てて、適当な風量で乾かしていた。ここでも印画紙の水洗いが雑だと、ムラが出てくる。ムラが出れば、印画紙の水洗いを再度行う必要がある。ドライヤーにフラ回される結果となる。
▽私は風呂で髪を洗った際に、ドライヤーなど使わなかったので、このフィルム現像や写真焼きのためだけに、ドライヤーを買ったことになる。
▽これが本社だと専用の乾燥機があったから、ドライヤーなど不要だった。
▽ドライヤーは地方の支局では必需品だった。仕事のために、ドライヤーを購入していたのだ。
▽こんな風景もかなり昔の話になってしまった。
★508選挙取材で必要な双眼鏡とバードウォッチング
▽選挙取材で必要な道具の一つに双眼鏡がある。その双眼鏡を使って、バードウォッチングならぬ開票ウォッチをするのだ。大切な道具だ。
▽選挙の開票報道は、速報がものを言う。いわゆる「当」打ちだ。開票が午後9時からの場合、開票が始まってからどの時間帯で打つか、これが新聞社やテレビの競争となる。
▽当然ながら事前取材は必要だ。各陣営への取材を続け、陣営の選挙責任者や幹部がどのような表読みをしているかをまず調べる。期日前投票や投票日での出口調査や、世論調査も参考にして、開票日を待つ。
▽そして開票が始まり、取材したとおりに候補者の票が伸びるのか、伸びないのかを調べていく。
▽その「当」打ち作業を手助けするのが、双眼鏡だ。
▽開票所で投票箱が開けられ、テーブルの上に投票用紙が並ぶ。その投票用紙に書かれた候補者名を、双眼鏡で使って見るのだ。1票ずつ候補者名を見て、それを加算していく。100票をカウントしたら、別のテーブルに移動し、同じように双眼鏡で候補者の票を加算していく。こうしてサンプルが集まる。集まったサンプルが、「当」打ちのヒントとなる。
▽朝日新聞はこれをバードウォッチングと呼んでいた。優れた取材手法だと思う。それをいつの間にかNHKや民放が使うようになってきた。他紙も同じようなことをやるようになった。
▽選挙報道の神髄は、「当」打ちにある。選挙報道の中でも一番の神経を使い、速さが問われる。開票作業のスピードアップがなかなか進まない現状では、この双眼鏡を使ったバードウォッチングは、優れた取材手法の一つだろうと私は思っている。
▽もっとも、老眼の記者には使えない。候補者名が読めないのだ。
★504なくなったカメラのバウンス撮影
▽ストロボを使う写真撮影の際に、よく注意されるのは、「バウンス撮影」を心がけよ、ということだった。最近はそういう注意も聞かなくなったのはなぜだろうか。特に顔写真について、そういう注意が多かった。
▽一眼レフのカメラにストロボを装着して撮影すると、シヤッターを切ると同時にストロボが発光し、撮影対象が明るくなる。顔写真の場合、バックが壁になっていると、その壁に人物の影が出来てしまい、写真に写ってしまう。
▽これを避けるのが、バウンス撮影だ。ストロボを天井に向けて発光し、影を出さないようにする。
▽特に選挙で使う顔写真の場合、影を作らないよう、バウンス撮影が大切だが、最近はデスクが若い記者に注意やアドバイスしている場面に出くわすことはない。バウンス撮影は死語なのか、と思ったりもする。
▽そこで気づいたのは、最近の顔写真撮影ではストロボを使わず、ノンストロボで撮影する機会が多くなっている、という事実だ。
▽デジタルカメラの機能や性能が以前に比べてはるかに上がり、特に感度を示す「ISO」が以前の100〜1600から、6400〜25600ぐらいまで使えるカメラが出現し、多少暗くてもストロボなしで顔写真の撮影が可能になったのだ。感度を上げすぎると画像が粗くなるが、新聞紙面で掲載されるレベルなら、問題はない。
▽これがストロボなしの顔写真撮影を可能にした要因で、これによってバウンス撮影などの技術が要らなくなった、ということなのだろう。
▽私自身も何年も前から、顔写真撮影ばかりではなく、いろいろな室内のイベントでストロボを使うことはなくなった。ISOの感度を上げることで、ストロボなしでの室内撮影が可能になり、例えば小学校での児童のイベント取材をする時も、ストロボは必要なくなった。ストロボを使っていれば、影が出来るが、影無しで取れるのはありがたいと感じていた。
▽カメラの性能向上で、なくなりつつあるのがストロボのバウンス撮影だ。
★473写真手当とフラッシュ手当
▽私が新聞業界に入ったころ、取材で使う写真撮影はフィルムカメラの全盛期だった。フィルムカメラで撮影し、撮影したフィルムを暗室で現像し、現像したフィルムを使って写真を焼いていく。こんな作業が毎日続いていた。そんな時代だったからこそ、一部の社では「写真手当」なるものをまだ記者に支払っている制度があった。
▽写真手当とは新聞紙面に、その記者が撮影した写真が1枚掲載されるごとに、確か200円前後の金を手当として払っていた制度だ。社によって金額が違っているが、100円から500円ほどのの金額が設定されていた。だから写真を多く載せれば、金額が増えていき、給料日に給料とともに支払ってくれる。だから毎日新聞に写真を載せれば1万円ほどの手当がついたものだ。
▽これは新聞撮影というものが、今のデジタルカメラと違って、現像や写真を焼く作業に要する時間や手間を考えるなら、その労力に対する賃金でもあった。今だったらデジタルカメラで簡単に撮影し、パソコンに簡単に画像を見せることができるので、そんな手当は必要ないのだろう。そんな時代だった。
▽写真手当とは別に、フラッシュ手当というものがあった。フラッシュとは、ストロボとは違い、一度撮影で光を発光すれば、電球のようなものが寿命を終える。ストロボのように、何回も何回も使うことができず、撮影するたびに、電球を取り替える必要があった。
▽一部の社ではこのフラッシュ手当もついた。フラッシュを使って1回撮影をした場合、それが新聞に載ったらば、写真手当とは別にプラス50円が加算された。
▽つまり室内でフラッシュを使った撮影をすれば、写真手当200円プラス、フラッシュ手当50円の250円がもらえる仕組みだ。これは一部の社がしばらく続けていた制度だった。
▽こうした写真手当やフラッシュ手当は自己申告にも基づくものだった。だから日中の明るい外での撮影でも、フラッシュ撮影をしたと申告すれば50円分手当が多くなる。こうしたインチキを結構やっているベテラン記者もいたので驚いた、と同業他社の人間が言っていた。
▽もうそんな写真手当もフラッシュ手当もない時代になった。古き良き時代だったのかもしれない。ただし私の会社ではそんな手当はなかった。
▽写真撮影が簡単になった時代になり、過去の話となった。
★452電話帳の廃止に時代の流れを感じた
▽現役の新聞記者時代に使った道具の一つとして、電話帳があった。地域ごとに人名別と職業別に2冊に分かれ、大切なデータが載っている分厚い電話帳だった。その電話帳が姿を消すという。
▽例えば、地球の裏側で飛行機墜落事故があったとしよう。その中に日本人が数人乗っていて、現地の日本大使館や空港関係者から被害者の名前がカタカナで日本に伝わってくる。その中に、自分が取材範囲としている町村にいる人物だとする。この名前の人物を割り出すときに使うのが、電話帳だ。名字しかわからない場合、電話帳を頼りに片っ端から電話し、確認作業をする。本人の自宅だとわかれば、電話帳に記載された住所を頼りに、住宅地図で場所を確認し、その自宅に向かうのだ。
▽電話帳がいかに大切なデータの宝庫であることがわかるだろう。
▽地方支局に赴任すると、事務所には電話帳が本棚に置かれていて、その電話帳のページの一部には、前任者かその前の担当者が取材のためにボールペンで線を引いた跡が残っていることがある。ああ、電話帳を頼りに取材したんだな、と思う。
▽私が北海道札幌市の朝日新聞北海道報道部時代には、サッカーワールドカップ(W杯)の日韓大会があり、その前年の組み合わせ抽選で、札幌ドームではどんな試合があるのか予定稿づくりをしていた。
▽この時は、企業や飲食店の電話番号を載せた電話帳のタウンページが役に立った。例えばイングランドとアルゼンチンの試合となった場合、イングランド関連の企業や飲食店、アルゼンチン関連の団体や飲食店を探し出し、取材材料を集めるのだ。
▽まさに電話帳は、取材道具の中でも、大切なデータの保管書籍だった。
▽朝日新聞東京本社の調査部(当時)には、全国各地の電話帳をそろえていて、取材に使われていた。
▽その電話帳がなくなりつつあるという。
▽以下はネットでアップされた記事だ。
《NTT東日本とNTT西日本が、企業や飲食店の情報をまとめた電話帳「タウンページ」の紙の冊子の廃止を決めたことが2024年7月12日までに分かった。インターネットの普及に伴い、冊子の利用者が減少。直近の発行部数はピーク時の半分以下に落ち込んでいた。今後はネット版の電話帳「iタウンページ」などのサービスに注力する》
《タウンページは1890年の「電話加入者人名表」に端を発する。1951年に人名別と職業別に分かれ、1983年に人名別は「ハローページ」に、職業別は「タウンページ」にそれぞれ改称した。ハローページはすでに2023年2月の最終版発行をもって廃止している》
《タウンページの発行部数は2005年度に全国で約6310万部に達したが、2023年度には約2662万部に落ち込んだ。紙の電話帳は、130年以上続いた歴史に幕を下ろす》(日経クロステック)
▽時代の流れなのだろうが、あれほど使ってきた電話帳がなくなるのは寂しい。
▽NHKのニュースではこれに伴って、「104」の有料電話番号案内サービスもなくすという。
★444よくあるカメラ撮影での失敗と教訓
▽ある地方での事件現場でのことだ。私が取材を進めていると、同業他社の若い記者が、突然、
「メモリーカードがない」
と叫んでいた。一眼レフのデジタルカメラで、画像を記録するメモリーカードが入っていなかったのだ。当時は今のようなSDカードではなく、コンパクトフラッシュカードか、メモリースティックか、それとも別の記憶メディアだったと思う。そのカードがない、ということは、カメラでの撮影ができない、ということだ。私は心の中で苦笑してしまった。やれやれ、という感じだった。
▽その時、同業他社の先輩として、余っているメモリーカードを貸すこともできた。しかし、そうしてしまえば、その若い記者は、この失敗を教訓にすることが出来ず、これから学んでいくことができなくなる、と思い、私は親切心を封印して、無視してその叫び声を聞いて、そのまま流した。
▽最近の一眼レフのデジタルカメラは、メモリーカードに保存するので、メモリーカードがないということは撮影ができない。このため、常に予備のカードは持っておくべきなのだ。この若い記者はその予備カードすら持っていなかった、ということになる。用意、準備が周到ではなかったのだ。
▽似たような話はプロのカメラマンでもある。
▽私が昔、東北地方に勤務していた時、ある大きな裁判があった。東京から出張してきた写真部のカメラマンが撮影を担当した。しかしこのカメラマン、カメラの中にフィルムを入れていなかったのだ。フィルムカメラ全盛時代で、フィルムがなければ、当然ながら撮影できない。一眼レフのカメラの構造からして、シャッターを切って、フィルムのコマを回せば、フィルムの存在は確認出来ているはずなのに、そのことに気づかなかった。気づかないままシャッターを押していたのだ。
▽このようにして、プロのカメラマンでも、撮影に失敗することがある。その撮影の失敗から多くのことを学ばなくてはならない。
▽フィルムが入っているのかどうか、デジタルカメラなら記憶用のメモリーカード入っているのかどうか、常にそのことを点検し、準備し、取材に臨まなくてはならない。プロのカメラマンがフィルムを装填せず、撮影に失敗したことで、担当デスクはそのカメラマンを叱った。プロである以上、失敗は許されない。
▽カメラマンがいない地方支局では、記者がカメラマンを兼ねる。つまり記者たちもカメラマンであるから、その準備は常にしなくてはならない。
▽記録メディアを忘れただけでは済まされないのが、撮影取材なのだ。
★442取材道具の変化と変わらぬシャープペンシル
▽私が40年間の新聞記者生活の中で、大きく変わったと思ってるのは取材道具だ。カメラはフィルムカメラからデジタルカメラに変わり、写真走行も電送機からパソコンになった。原稿を書くのも手書きの原稿用紙からパソコンに変化した。こんなに大きく変わるとは、入社した時は思いもよらなかった。しかし変わらないものが一つある。
▽それがシャーペンシルだ。
▽雨の日の中の現場取材では、メモを書く大学ノートや取材メモ帳が濡れる。ボールペンやサインペンだと濡れて文字がにじむ。にじむと、何を書いていたか分からなくなる。その点、シャープペンシルは、雨でにじむことがない。だから私は入社時から、シャープペンシルをずっと使い続けてきた。
▽雨の日の中の取材現場だけではない。海難や火事現場でも、水に濡れることが多い。その場合もシャープペンシルが便利で、使いやすかった。
▽最近はボールペンとシャープペンシルを1本で組み合わせた商品があるので、それを愛用している。
▽40年間の取材の中で、取材道具で変化しなかったのは、このシャーペンぐらいだろうか。
▽カメラも原稿送稿方法も、連絡手段も変化した。昔は移動先を常にデスクに電話して、居場所を伝えていた。常に連絡できる場所にいるのが、記者の条件だった。連絡をしないと、怒鳴られたものだ。今はそんなことはしていない。
▽最近は取材現場から電話で原稿をいきなり吹き込むということを、最近は嫌うデスクも多い。受けるのが面倒くさいのだろう。昔の取材道具と風景は、かなり変わってしまった。道具はほぼ一掃されたと言って良い。この先どうなるのだろうか、と私は思ってしまう。シャープペンシルでのメモ書きは、残っているのだろうけど。
▽否、録音で済ます記者も出てきたな。変化の速度に追いついていけないかもしれない。
★426高校野球と600ミリレンズの重さ
▽異様に重かった。これを持って運べるか、と私は思った。東京本社から届いた高校野球取材の撮影で使う超望遠カメラだった。
▽夏の高校野球は朝日新聞の主催であり、それゆえ地方大会も県庁所在地の総局を中心に県内の支局とともに多くの記者を動員して取材に当たる。私は新潟県・佐渡支局と埼玉県・秩父支局に勤務していた時にカメラマン役を命じられており、球場のバックスクリーンがある横下の場所から、望遠レンズを装着したカメラで、投手と対峙する打者の「一瞬の一打」を撮影してきた。
▽その秩父支局に勤務していた時だ。県営大宮球場で行われる準決勝、決勝で使用するのに、本社から送られてきたレンズが600ミリという超望遠レンズだった。何しろ大きいし、重い。
▽通常だと、県大会準決勝あたりから東京本社がバックスクリーンの横下から撮影できる超望遠レンズを送ってくる。総局に超望遠レンズの備品はなく、各総局持ち回りで送られてくるのだが、いつもだと200−500ミリというズームレンズで、メーカーのニコンでは定番の超望遠レンズだった。社内では「バズーカ砲」に似ていることから、「バズーカ」と呼んでいた。
▽これにコンバーターを介してカメラのボディーに装着する。これにレンズを固定する三脚や予備のカメラボディー、パソコン、暑さ対策のために冷たいドリンクなどを持っていくと、それだけで相当な重さとなる。
▽それが今回はいつもの定番バズーカではなく、単焦点の600ミリレンズが届いたから驚いた。バズーカより大きくて重い。金属ケースに入っていて、重量は半端ではなかった。これを球場バックスクリーン席まで運ぶのが大変だった。
▽カメラ、レンズ、三脚などを車に積んで球場に着く。球場から撮影現場であるバックスクリーン席まで持っていくのだが、重すぎる。プロのカメラマンって、こんなに重いものをいつも運んでるんだ、と思いながら、バックスクリーン横まで運んだ。
▽三脚を設置して、レンズを装着したカメラを取り付ける。
▽ファインダーをのぞき、ファインダーの中で手前に投手を入れて、バッターボックスのストライクゾーン部分に焦点を当てる。投手が投げる一球一球が勝負だから、投手が投げた瞬間からバッターがボールをとらえる瞬間までを連射で撮影する。
▽確かにこの600ミリの単焦点レンズは浸かってみると、ピントが簡単に合ってくれて、連射もスムーズに切れた。
▽しかし試合が終わって今度は持ち出す作業が始まると、もうこんなもの持ちたくないと正直思った。プロのカメラマンは偉いと思った。体力がないと、カメラマンにはなれないと感じた。
★402煙草と新聞記者と原稿の因果関係
▽新聞記者になったころ、先輩に注意されたことが一つある。煙草についてだった。今回はその話を書こう。
▽先輩に言われたのは、この言葉だった。
「原稿を書く時に、煙草は吸うな」
▽当時はまだ原稿用紙にペンで原稿を書く時代だった。取材現場から戻り、通常は記者クラブに戻り、原稿を書き出す。
▽今は信じられないが、昔の記者クラブは煙草の煙で充満していた。だれもが煙草を吸っている時代だった。新聞記者にとって、煙草は必需品のような存在だった。
▽NHKドラマ「事件記者」でも、警視庁記者クラブの各社の記者が煙草を吸い続けている場面が多い。私も吸っていた。「セブンスター」を1日2箱吸っていた。
▽原稿を書き出す時に、煙草に火を点ける。煙を口から出しながら、どう書こうかと迷いながら、頭を整理する。整理して、また一息、煙草を吸う。この繰り返し。そのうち1本を吸ってしまう。
▽そう、煙草を吸いながら原稿を書こうとすると、作家気分になっている自分に気づく。
▽そして、その本当の実態は、原稿が進まないことに気づいていない。
▽つまりだ。煙草を吸いながら原稿を書こうとすると、原稿を書くのが遅れてしまい、完成が遅くなると言うのだ。それを私も実感した。煙草を一服してから、原稿を書こうとすると、どうしても原稿の書き出しが遅くなるのだ。
▽私は学生時代から煙草を吸っていて、禁煙するという発想がなかった。取材して記者クラブに戻り、原稿を書こうとする時に煙草を吸ってしまうと、やはり原稿の書き出しが遅くなった。
▽その習慣がなくなったのは、病気をして禁煙をしてからだった。当時、地下鉄の階段を上る時も息切れをしていたぐらい、ヘビースモーカーになっていた。ハイライトを1日5箱も吸うようになっていた。
▽今は全く吸っていない。
★395写真をドラム式電送機で送っていた時代があった
▽私が新聞業界に入った時、新聞社の地方支局にはドラム式の写真伝送機があった。撮影したフィルムを印画紙に焼いて、その印画紙をそのドラムに巻きつけて写真を転送するものだ。長い間使われてきた。しかしその機械は面影すらない。
▽写真電送機の仕組みは、ドラムに写真の印画紙を巻き付けて、それを高速で回転させて、光を当てて、その反射光の濃淡を電気信号に変換して電話回線で送る仕組みだ。「ピーコロ」という音が鳴っていた。1枚の写真を送るのに、10分はかかった。
▽このドラム式写真電送機は、私が朝日新聞に転職しても使われていた。浦和支局(現さいたま総局)、塩釜通信局でも使ってきた。本社を経由して、新潟県上越市の朝日新聞上越支局でも最初は使っていた。
▽大変だったのは、本社写真部のカメラマンだった。出張時には現地にこの電送機を持ち込む必要があった。ホテルの風呂場を仮の暗室にしてフィルム現像し、写真を焼いて、この電送機を使って送信した。まさに締め切り時間との闘いだった。
▽この写真電送機に代わって登場したのが、カラーフィルム電送機だった。これは現像を終えたカラーフィルムのネガだけで伝送できる装置だった。このため印画紙に写真を焼く必要がなくなった。時間も節約できた。
▽そしてデジタルカメラの登場だ。写真の画像をメモリーに保存し、これをパソコンで送る。一気に写真電送の時間が短縮された。
▽写真撮影からフィルムの現像、写真の印画紙焼き、そしてドラム式電送機による電送というわずか四半世紀前まで使われていた技術と装置が、アッという間になくなる。驚くべき進歩だと思う。しかしあの時代にそうした苦労は、記憶の中に残っている。
【再掲載】★119バック便
▽バック便というものをご存じだろうか。インターネットどころか、ファクスもそんなに普及していなかった時代に、新聞社の地方在住記者が書き上げた原稿を専用列車で運んでいた時期がある。書き上げた原稿用紙を専用のバッグに入れて、それを近くの駅の専用窓口に渡し、列車で東京まで運んでもらい、翌朝、東京本社の人間が取りに行く。その原稿を入れる専用バッグを、いつの間にか「バック便」と呼ばれるようになったらしい。
▽このバック便だと、その日のうちには本社に届かないから、紙面化は1日遅れる。本日原稿を書いても、掲載は2日後になる。特に地方版に出すニュースは、街ダネや暇ダネが多く、1日遅れても、ニュースの鮮度は落ちないから、バック便は頻繁に使われていたらしい。もちろん、事件事故などその日のうちに伝えたいニュースは、電話で吹き込んでいたし、本社では専用の速記記者が受け手となって、原稿をキャッチしてくれていた。
▽私が新聞業界に入ったころ、バック便はまだ存在していた。手書きした原稿を支局長やデスクが手を入れるため、原稿用紙は文字が散乱したような状態になっていた。その原稿をバッグに入れて、駅まで運んだ。私の先輩などは、デスクの原稿直しが気に入らなかったらしく、その原稿を捨てて、元通りに直してバック便で出す猛者もいた。東京本社に着いた時は、デスクの原稿直しなどは全くなく、本社デスクはその原稿を見て、紙面を組み上げていた。直したはずの原稿がそのままになっているとは、地方のデスクも知るはずはなく、翌々日になって本社のデスクが直したのだろうと思ったに違いない。古き良き時代だった。
▽このバック便は放送業界でも使っていたらしい。放送素材を地方の放送局に送る時に利用していた。今だったらインターネットや専用回線で何でも送れる時代だが、当時はまだ列車で送るバック便がかなり使われていたという。
▽新聞社でバック便の利用が減ったのは、電話回線の拡大とファクスの普及が大きな要因だろう。ファクスは当初、送信と受信は別々の機械で行っていて、双方向できるものではなかった。そのため本社には受信専用のファクスが何台も並べられていた記憶がある。双方向の送受信が出来るファクスの普及に伴って、バック便が次第になくなってきた。
▽と同時に、デスクが直した原稿は、そのまま本社に送られるから、元通りにすることも出来なくなった。
▽記者は原稿を直されるのを嫌がる動物だ。デスクからすると、下手な原稿を直しているだけということになるが、自分なりの文体で仕上げた原稿を、ワンパターンで直されるのはたまらない、と考える記者も多い。バック便にしろ、ファクスにしろ、原稿がどのように直されているかすぐに分かるが、現代のようにパソコンを使ったインターネット送信では、どこがどのように直されたか、すぐに分からない場合が多くなってきた。デスクの癖を見抜くには、バック便やファクスは便利なシステムだったと今でも思う。
★353出張先でパソコンが壊れたならどうするか
▽出張先で突然パソコンが壊れたらどうするか。私は熊本でそれを経験した。その話をしたい。
▽サッカーの取材だった。
▽当時、私は群馬県渋川市の朝日新聞渋川支局に勤務していた。地元のサッカーJリーグチーム、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)の全試合を取材していた。J2、ロアッソ熊本とのアウェー戦取材のため、前日から現地に入り、その試合を取材して、ホテルで原稿を書き、撮影した写真を送ることにしていた。
▽ホテルに戻って、ノートパソコンを広げた時だった。パソコンの電源が入らないのだ。
▽このノートパソコンは会社が記者全員に貸与しているもので、朝日新聞本社のホストコンピューターにアクセスするため、朝日新聞仕様の特別なシステムと専用の原稿出稿システムが組み込まれている。パソコンが不調なときは、本社の「パソコン110番」部署に連絡することになっていた。
▽私が「110番」部署に電話すると、相手は「壊れていますね」としか言わない。支局での通常業務だと、こういう場合、別の代替機の貸与パソコンを送ってもらうのだが、ここは遠い熊本の地での出張先。送ってもらうことも出来ない。
▽まずいなと思った。
▽そこで目に止まったのが、宿泊しているホテルのレストランに、「ご自由に使いください」と書かれて置かれていたデスクトップのパソコンだった。これを使うしかないと思った。
▽このパソコンに、テキストエディターをインストールして、それで原稿を書き、朝日新聞前橋総局の若い記者に連絡して、その記者のアドレスにテキスト原稿を送った。その原稿を受け取った若い記者が、朝日新聞仕様の原稿体裁に直してもらい、出稿をした。
▽写真はウェブメールで送ることにした。私は会社のアドレスとは別に、BIGLOBEのメールアドレスを使っており、BIGLOBEのウェブメールにアクセスして、撮影したサッカーの写真を、これまた若い記者宛てに送った。その記者が写真も出稿した。
▽その作業を終えて、出稿が出来たことを確認し、そのデスクトップから私の使った痕跡を消す作業をした。
▽昔だったら、原稿は電話で口頭で吹き込んでいた。それが最近のデスクや記者は、その電話による受けの作業を嫌うので、パソコンなしに原稿は遅れなくなっているのだ。
▽特に写真はパソコンがないと、全く送稿できなくなっている。まだスマホが全くなかった時代だったため、パソコンが壊れた時のダメージは大きかった。
▽新聞社が独自のパソコンのシステムを構築し、セキュリティーが高くなると、それだけ、一般のパソコンが使えず、貸与パソコン任せになってしまう。それが壊れたら、どうにもならない。だから、万一のトラブル対策を常に考えておく必要がある、と私は思っている。
★351会社の貸与スマホの功罪
▽何年も前の話だが、朝日新聞が全社員に、内線番号付きのスマートフォンを配布した。3000人の全社員に使えるようにした。これは便利なようで、功罪両方あることになった。
▽3000人に配るから、電話番号の下4桁は0001から3000まで順次順番の番号になる。この範囲の中の電話番号をかければ、必ず朝日新聞の社員に繋がることになる。これは危険だ、と私は思った。
▽案の定、このスマホの配布からしばらく経って、ワンルームなどの不動産を売り込む電話が頻繁にかかるようになった。勧誘の電話だ。
▽下4桁の番号が続くから、番号を1つずつ足して電話をすれば、朝日新聞の社員にずっと電話ができるのだ。誰が教えたかわからないが、不動産業者の営業マンは、電話をかけまくっていたのだろう。
▽こうした勧誘電話は私が退社するまで続いた。下4桁の数字が1つずつ違うだけだから、営業マンにとっては楽な電話勧誘だったのだろう。
▽貸与スマホで困るのは、もう一つある。出向したり退社した時だ。貸与スマホを返却するため、取材相手や社内からの電話が届かなくなるのだ。
▽個人のスマホを使わず、貸与スマホだけ使っていると、連絡が全く出来なくなる。
▽だから私は仕事でも、もっぱら個人のiPhoneを使った。このため、退社しても、取材相手や会社の人間とはスムーズに連絡を取り合える状態が出来ている。
▽一方で会社のスマホだけを使い続けた人間は、退社すると連絡が取れなくなってしまった。先日も「困っている」という知り合いからそんな連絡があり、私が電話番号を教えたケースがあった。
▽個人のスマホか会社のスマホか迷うのだが、やはり2台持っておかないと、いろいろなところで問題が生じてくる。サラリーマンよ、2台持ちにしていた方が、人生のためだと言いたい。
★346私が使ってきたカメラ
▽今回は私が新聞記者として使ってきた取材用のカメラ機種について書こう。振り返ってみれば、ずっとニコンのカメラを使い続けてきた。
▽新人時代に使ってきたカメラは、ニコン系のニコマートという機種だった。金属製の重いカメラで、モノクロの36枚撮りのフィルムを入れて使っていた。室内撮影ではストロボを使い、1枚1枚丁寧に撮影していた記憶がある。その一度の取材で全部使い切ることはなく、「切り原」と言って、途中まで使ったら使った分だけを現像し、残りは次の取材で使っていた。節約のためだ。
▽次に使い始めたのが、ニコンFE2とニコンFM2というカメラだった。ともによくできたカメラで、モータードライブを初めて装着し、使っていた。神社の流鏑馬の弓を射るシーンを、シャッター速度を500分の1にして撮影に成功した記憶がある。
▽さらにはその上位機種のニコンF3というカメラも入手して使った。もちろん自腹で購入した。これは完全に当時のプロ仕様で、高価な買い物だった。
▽そして時代は次第にフィルムカメラからデジタルカメラに移行する。
デジタルカメラが市場に出回ったころはまだ一眼レフのデジタルカメラはなく、小型のコンパクトのデジタルカメラだった。
▽報道用に一眼レフのデジタルカメラが普及したのは、長野冬季五輪のころだった。私は本社から新潟県上越市の朝日新聞上越支局に赴任した時、その五輪で本社写真部員が使った一眼レフのデジカメが「お下がり」として支局に支給された。大きなカメラだった。その当時の一眼レフのデジカメの背後にはまだ液晶モニターがなく、撮影した写真はメモリカードに保存された画像をパソコンで見るしかなかった。
▽その後転勤で北海道報道部に赴任し、初めて本格的なデジタルカメラであるニコンD100というカメラを購入した。これにバッテリーパックをつけて、取材を続けた。
▽さらに転勤し、群馬県渋川市の朝日新聞渋川支局に赴任し、このニコン100で取材撮影を続けてきた。高校野球やサッカーJリーグ、ザスパ草津(当時・現ザスパクサツ群馬)のし合いに使ってきたが、次第に物足りなくなり、新たにニコンD2Hsなる高級カメラを購入した。当時としては最高峰のカメラで、連写も速く、連射のシャッター音が素晴らしかった。以降このカメラをしばらく使うようになった。
▽埼玉県越谷市の朝日新聞東埼玉支局に転勤しても、このニコンD2Hsを使った。古くなったニコン100は次第に使わなくなっていった。また中古でニコンD2Xsも使ってみたが、性能がそんなによくなく、ほとんど使わずに終わっている。
▽さらに転勤し、今度は新潟県佐渡市の朝日新聞佐渡市支局に赴任した。この際、出始めていたミラーレスをカメラを使おうと、ニコンV3というカメラを購入したが、画像が良くなく、本番で使う事はほとんどなかった。
▽代わりに発売を始めていたニコンD500というカメラを新たに購入し、これがメインカメラとなった。バッテリーパックを装着し、高校野球や佐渡で再生事業が始まっていた国の特別天然記念物トキの放鳥写真など、いろいろな場面で使っていった。
▽またまた転勤し、今度は埼玉県秩父市の朝日新聞秩父支局に赴任してからはさらにカメラを増やした。ニコンD5とニコンD850を購入したのだ。前者は高校野球のほか、地元開催の秩父夜祭、花火、農民ロケットのイベントなので使った。後者はあまり使わないままになった。
▽さらには中古品としてニコンD3も購入してみたが、これもあまり使わなかった。ニコンZ50も購入した。
▽そして2021年8月の退職を前に、古くなったカメラは断捨利として中古店に売却し、現在はニコンD5、ニコンD850、ニコンD500、ニコンZ50が現在手元にある。
▽レンズのことは書かなかったが、手元にはまだ何本も残っている。
▽私はカメラマンではない。一線の記者としては、カメラ購入に自腹でかなり金を掛けていることが分かるだろう。それだけ良い写真を撮影して、良い写真を紙面にしたかったのだ。このプロの気持ちを分かってくれるだろうか。
★327大切な新聞記事の切り抜き
▽新聞記者の大切な仕事の一つに、新聞記事の切り抜き、というものがある。自社の自分の記事や、関連記事、関心がある記事、他社の記事を切り抜くのである。これをスクラップ帳に貼って保管し、今後の取材の資料として使う。だが、悲しいかな、スクラップ帳を作らない記者もいて、困ったことが何回かある。
▽事件担当の場合だと、県警記者クラブの自社のボックス内で、自社の新聞の記事を切り抜く。多くの場合は、新人の仕事だ。予算の都合上、他紙を独自に契約することはないので、他紙の記事はコピーして切り抜く。
▽これが1人勤務の通信局、現在は支局と改称しているが、当然ながら1人で全部をこなす。自分が書いた記事や関連記事、それに他社の記事も切り抜く。自分が書いた記事は、個人でも保存するため、一部しか取っていない場合は、コピーして切り抜く。他社の関連記事も切り抜く。これを毎日毎日続ける。
▽これが当然の作業だと思っているが、実際には何もしてくれない記者もいる。他社の記事も切り抜かないどころか、自社の記事も全く切り抜かない。
▽だから、そうした支局に赴任すると、その支局の管内で過去、どんな事件が起き、どんな事故があり、どんな出来事があり、どんな行政があったのか全くわからないのだ。前任者は何をしているのだろうと思ってしまう。
▽確かに切り抜き作業は面倒だ。面倒だが、やらなくてはならないのだ。これは自分のためでもあるし、後任者のためでもある。
▽新聞記事の切り抜きをしないという事は、新聞記者の原点を忘れている、と言うことだ。どんなに短い記事だって、そんなに目立たない記事だって、切り抜きをしてこそ、学ぶことがあるのだ。
▽最近はデーターベースやインターネットの発達などで、検索することが簡単になり、切り抜き作業をおろそかにしている記者も多いと感じる。切り抜き作業こそ、新聞記者の仕事の第一歩だと私は思っている。
★315フィルムの感度ISOと暗室作業の失敗
▽フィルムカメラ時代の話をしよう。
▽私が宮城県塩釜市の朝日新聞塩釜通信局に勤務していた時のことだ。
▽国体か高校総体の取材で、仙台支局に応援取材に入り、撮影したフィルムを支局暗室で現像し、写真の紙焼きをした。
▽紙焼きした印画紙を定着液に漬けて水洗いした際に、浮かび上がってきた画質がボケていて、一部が光を被った状態になっていた。
▽えっ、何なんだ、と思った。これでは使えない。現像に失敗したのだ。
▽理由はすぐに分かった。
▽仙台支局の暗室が完全に外部の光を遮断しておらず、かすかな、ほんのかすかな光が暗室に入り込んでいて、そのわずかな光にフィルムが反応してしまい、現像に失敗したのだ。暗室は真っ暗な状態にしておかなければならないのに、それが出来ていなかったのだ。
▽もう一つの要因が、私が使ってフィルムの感度に合った。その時代にようやく普及し始めたISO1600の好感度フィルムを使っていたのだ。
▽当時、新聞社のフィルムカメラで使うフィルムは100〜400のISO感度だった。感度が2倍になると、つまりISO感度を100から200に上げると、同じ絞り値(F値)であれば、シヤッタースピードを2倍で切ることが出来る。400だったら4倍のシャッター速度で撮影できる。
▽この特性を生かすことが出来たのが、バレーボールやバスケット、体操、バドミントン、卓球など屋内スポーツだった。カメラを持っている人間なら分かることだが、屋内は意外に暗い。暗いと、絞り値を開放しても、シャッタースピードを十分に取れない。スポーツ写真の場合、最低でも500分の1のシャッタースピードが欲しい。
▽だから普及を始めたISO1600の好感度フィルムは重宝した。通常のフィルムに比べて16倍のシヤッタースピードを確保できるのだ。
▽しかし、好感度ゆえ、暗室も完全に真っ暗な場所でないと駄目になる。
▽これが私の失敗だった。
▽普通、暗室の管理は仙台支局の支局長かデスク、またはカメラマンだろう。当時朝日新聞仙台支局には専従カメラマンが在住していた。
▽いちいち指摘するのも嫌だったから、私は暗室を真っ暗にするため、専用のテープを自腹で購入し、仙台支局の暗室に張り付けておいた。
▽新聞に掲載する写真の品質を気にする人間が、仙台支局にはいなかっただけの話だ。
★312地方勤務では便利な音声入力ソフトの使い勝手
▽ある地方支局に勤務していた時だ。パソコンのソフトで音声入力ソフトいうものが発売された。それを知って私は、これだ、と思った。
▽地方勤務の場合、取材の移動手段はマイカーが基本だ。マイカーを運転する時間が長ければ、長いほど、原稿を書き出す執筆時間がより遅くなる。
▽本社では、ハイヤーやタクシーを使うから、客席に座ってパソコンを広げて、原稿を書くことができる。しかし地方はそういうわけにいかない。
▽そんな時に登場したのが、音声入力ソフトだ。
▽私のイメージとしては、取材を終えて帰りのマイカーを運転してる最中に、取材した話を音声入力ソフトで原稿を入力する。これだったら、運転時間のロスが少なくなる。口頭で原稿を書くのだ。
▽音声入力ソフトを購入し、実際に何回かマイカーで試したのだが、音声入力というのは、文章をきちんと遂行して書くわけではないので、原稿の体裁は揃っていないことが分かってきた。
▽しかも、音声入力のソフトによるが、認識率がそんなに高くない。誤字脱字が多くなる。このため、文字化した文章を添削し、正しい文章にしなくてはならない。欠点があるのだ。万能ではなかった。出来上がった原稿を見ると、認識率は、7割から8割で、2割ぐらいは誤字脱字などが多かった。こんな程度のものだったが、これを最後に支局に戻って、パソコンで修正すれば、原稿が仕上がる。良い道具かなと思った。
▽この音声ソフトは各社が開発し、その後はどんどん改良され、パソコンやスマートフォンにも搭載されるようになったが、その認識率はそんなに高くないと感じている。
▽便利なようで、完璧ではないのがこの音声入力ソフトではないだろうか。初めて使ってからもう10年以上が経つが、使ってみたり、使わなかったりしているのが現状だ。
▽もっと認識率が高くならないのかな、と思ったりもする。
▽昔から一部の作家が口述筆記で原稿を読み、それをテープで録音し、編集者が文字起こしするという作業をしていた。音声入力ソフトは、編集者ではなくパソコンが相手で、原稿の最終的な入力も、筆者が1人で行う。同じような作業が、人間から機械に変わっただけなのだ。もう少し認識率が上がればいいな、と私は思う。
【再掲載】★037記者数え歌
▽新聞記者になったばかりのころ、宴会があると、ある先輩が必ず歌っていた数え歌があった。替え歌だったが、新聞記者の哀歌を歌ったもので、歌詞は微妙に違っているらしい。
▽現在、インターネットで検索すると、あるホームページにこんな歌詞がアップされていた。
《きしゃかぞえうた【記者数え歌】▽新聞記者生活の哀歓を、1から10までにまとめてうたった歌。
▽例の「ひとつ、1人でするのを…」のかえ歌なので、お心あたりのむきはご唱和をどうぞ。▽(和)
▽1つ、1人で書くのを▽特ダネ原稿と申します▽心はずみます
▽2つ、2人で書くのを▽手分け原稿と申します▽談話はいります
▽3つ、みんなで書くのを▽発表原稿と申します▽行数同じです
▽4つ、夜に書くのを▽泊り原稿と申します▽酒がにじみます
▽5つ、いつも書くのを▽得意原稿と申します▽メモがいりません
▽6つ、ムリに書くのを▽ねつぞう原稿と申します▽あとがたたります
▽7つ、泣き泣き書くのを▽抜かれ原稿と申します▽根性はいります
▽8つ、宿で書くのを▽出張原稿と申します▽旅費がかせげます
▽9つ、こってり書くのを▽企画原稿と申します▽ボツがありません
▽10お、とっても書けない▽頭が悪いと申します▽会社クビになる▽▽オシマイ》
▽私が先輩から聞いた歌詞は少し違っていた。
▽5つ、急いで書くのをツッコミ原稿と申します、デスク焦ります
▽7つ、泣く泣く書くのを訂正原稿と申します、もう左遷です
▽そして最後にみんなで「ボツ」と返す歌だった。
▽もうこの曲、職場の飲み会で聞くことはなくなった。まさに記憶の中の話になっている。
★310現像液のお湯割り
▽「現像液のお湯割り」を知っているだろうか。
▽その昔、今のようなデジタルカメラがない時代、フィルムカメラを使っていた時のことだ。東北の1人勤務の通信局で勤務していた時、寒さのために現像液の液温が下がってしまう対策として、私は現像液のお湯割りを使っていた。この現像液のお湯割りというものを紹介しよう。
▽東北地方のような寒冷地の場合、通信局の暗室は一定の室温を保って、一定の温度の現像液を保管しておくのが、通常のルールだ。
▽しかし、北海道のような暖房構造、つまり一軒家をずっと24時間温めるような構造にはなっていないため、自宅を兼ねた通信局は、部屋ごとにストーブを入れたり、エアコンを点けたりしている。このため非効率になっていた。
▽暗室も同じだ。勤務の日に、一定の時間帯だけ使うから、使う時だけ、ストーブを入れたりする。何か事件事故があって急に暗室作業が必要な場合だと、全く暖まっていない暗室で、寒い中での作業となる。室温と連動して、現像液の液温も低くなってしまい、このままフィルムの現像には向かない。液温が低いと、フィルムの現像がうまく進まないのだ。
▽そんな中で、試行錯誤して使うようになったのが、「現像液のお湯割り」だった。
▽現像液は通常、現像液の元となるパウダー状の粉を、水で溶かして作る。これを専用の容器に入れて保管する。フィルムを現像する時はこの容器にフィルムを入れる。
▽しかし、この時間を短縮するために、「さらげん」を行ってきたことは、以前にこのコラムで書いた(道具編021「さらげん」)。印画紙用の現像液を使って、お皿の上でフィルムを現像することだが、この現像液を作る際に、普段の2〜3倍の濃縮液にするのだ。それをそのまま保管する。そして実際に使う時に、ポットに入れたお湯で希釈して使うのだ。適温は22〜24度。現像液とお湯の量を調整し、このお湯割りを作っていく。そしてそれでさら現による現像をするのだ。
▽この現像液のお湯割りという作業は、自分で考えたことだが、後日、友人に話すと、意外にこの方法を使っている人が記者には多いことがわかった。みんな考えた末に実行していたのだろう。
▽おそらく本社は屋内の温度が適温に設定されているから、こんな事はしないだろう。1人勤務の記者だけが使う作業だった。
▽こんな現像液のお湯割り作業も、今では過去の話になってしまった。
★297シャッターが切れないトラブル
▽愛用していたカメラ、ニコンD500のシャッターが切れない時があった。
▽1回目は夏の高校野球甲子園県大会決勝での撮影取材でのことだ。決勝戦で優勝校が決まり、選手たちがマウンドに集まって、人差し指で「1」を作って、歓喜を爆発させようとした時だった。私はバックスクリーンの下から、望遠レンズを装着したこのカメラのレンズをマウンドに向けていたが、突然シャッターが切れなくなった。「えっ、なんで」。理由は分からなかった、その瞬間を撮影できない失敗をしてしまった。ただしこの瞬間は後輩の記者たちが、1塁側と3塁側のカメラマン席から撮影していたから、問題にはならなかった。一体なぜなのか、原因は当時分からなかった。
▽2回目は、冬の風物詩である氷柱の風景画を撮る時だった。途中からまたシャッターが切れなくなった。
▽そうかと思った。おぼろげながらの推測が当たっていると思った。
▽真夏の暑い時と、真冬の寒い時、つまり極端に暑いか寒い環境になるとシャッターが切れなくなった。ニコンD500はフルサイズのカメラではないが、愛好者が多いカメラの一つで、連写もスムーズで、私も気に入っている1台だ。だから、本体に問題が発生したとは思えなかった。
▽いろいろ調べて、これはやはりバッテリーの問題だと確信した。
▽実はこのカメラ本体には、バッテリーグリップを取り付けていた。サードパーティーのもので、極端に暑い時、極端に寒い時は、バッテリーグリップ内部の充電池からの電流が誤作動を起こすか、電流が流れないのだろう。純正の物ではないから、こういう現象が起きるのだろう。そう結論づけた。
▽高校野球の時も、氷柱の時も、シャッターが切れないと分かった瞬間、すぐにバッテリーグリップを本体から外した。そして本体の充電池を頼りにシャッターを切ることは出来ていたのだ。
▽純正のものよりは、3分の1ぐらいの値段で買えるから、ずっとこのバッテリーグリップを使っていたが、やはりこういう時は純正のものではないと使えないことがよくわかった。
▽仕方なく、高額の純正バッテリーを新たな購入して、使うことになった。
▽それ以来、シャッターが切れないという事態はなくなった。その後の高校野球撮影でも、氷柱の撮影でも、問題は発生しなかった。
▽サードパーティーのバッテリーグリップは、こういう時が一番怖い。実感した。機材にケチってはいけない、という教訓だった。
▽道具にはこだわりたいと思った。
★284カメラのタテ写真撮影と納得いかないカメラの構え
▽カメラを縦に構えて、いわゆるタテ写真を撮影する場合、私は新人記者だったころ、カメラを持ったら、カメラを右に90度回転させて、右手を脇腹に抑えるようにして撮るよう、プロのカメラマンに何回も何回も指導された。シャッターを切る時にぶれないためでもあるが、フィルムカメラだったため、暗室の現像作業、写真の紙焼き作業で天地が180度変わってしまうことを防ぐためだった。この基本中の基本が、最近のプロと称するカメラマンも、そしてカメラを製造するメーカーも正反対になっていることに、最近驚くようになっている。
▽これは報道現場だけの問題なのだろうか。報道と芸術的な写真撮影は違う、と言ってしまえば、それまでなのだろうか。何かしっくりこない。
▽もう一度書く。
▽新聞写真は、基本的にヨコ写真だ。一眼レフカメラを通常の形で構えて撮影し、それを紙面で使う。
▽タテ写真は例外だ。タテ写真でないと、読者に伝わらない時や、整理部のレイアウト上の紙面感覚でトリミングしてタテ写真にすることはあるが、あくまでもそれは例外だ。
▽それはスポーツ写真を見ていただければ分かるだろう。朝日新聞のスポーツ面を開いて見れば、理解できるはずた。基本的に新聞はヨコ写真が原則だ。
▽その原則を、撮影者が破るのは、読者に伝わる意味がある時だけだ。
▽その時、カメラに右に90度回転して構える。これが基本だ。新聞社のカメラマンは常にそう指導してきた。そうすることで、暗室作業の作業の滞りをなくすためためだ。
▽だから、カメラを逆に左に90度回転させて、シャッターを右手で切るのは、自分の額の位置に置くことになり、禁じ手だった。この格好だと、シャッターを切る右手が宙ぶらりんになってしまい、撮影が不安定になる。ピントがボケるのだ。こんな撮影をすると、プロのカメラマンは私たち新人記者を怒鳴った。
「馬鹿野郎、何回言わせるんだ」
と。
▽カメラのタテ写真撮影は、例外であり、行うなら、右に90度回転させて、右手の肘を腹に押すようにして、安定させて撮影する。これが基本だとずっと教わってきたし、実行してきた。
▽それがどうだろう。最近のデジカメの普及で、プロだと称するカメラマンのタテ写真の構えが、正反対なのだ。驚くべき現象だと思った。
▽さらに言うと、メーカーのカメラづくりにも驚く。左に90度回転させても、カメラの底の部分に、別のシャッターボタンがあり、左回転てもシャッターを切ることが出来るのだ。暗室作業もなくなったので、天地が逆になっても、どうでもいいことなのだろうか。
▽私が使ってきたニコンD500やニコンD850に付けたバッテリーグリップもそういう造リだし、ニコンD5もそうだ。
▽どうしてこんな造りをしてしまったのだろう。
▽メーカーはプロのカメラマンの意見を採り入れて、カメラ造りをしてきたはずだが、このタテ写真撮影に関しては、納得出来る材料がないのだ。驚くばかりだ。
▽どうして、こうなったのか。知りたい。
★255モータードライブ
▽私が新聞社に入社した時、憧れていたものが、一眼カメラに装着するモータードライブだった。当時の新聞社は、新人記者に対して、一眼レフカメラを個人で購入するよう求めていたし、半ば強制していた。一眼レフは当時レンズを含めると、初任給より高価なカメラだったので、それを支払うために、ローンを組むのがほとんどだった。そんなカメラに連写が出来るモータードライブを着けて写真撮影するカメラマンがかっこよかった。
▽当時の一眼レフカメラは、フィルムを装着し、シャッターを切って撮影する度に、フィルムレバーを回して、次の撮影に挑む。フィルムレバーの回す速度こそ鍛えられたが、モータードライブはその煩わしさを解放してくれる道具だった。
▽モータードライブは撮影を連射するためのもので、カメラの底につけて、電池とモーターの力で、シャッターを切るとフィルムを自動で回していく。それに憧れていたが、とても高価なもので、新人記者には手が届かなかった。
▽そして新聞記者になって、何年も何年も経ってから、ようやくモータードライブを購入した。当時私が持っていたカメラは、ニコンFE2というカメラで、それに着けるモータードライブを購入した。
▽当時はフィルムが1本36コマだったので、モータードライブをつけて連射すると、1本のフィルムがアッという間になくなった。だからモータードライブで撮影するのは、高校野球などスポーツの試合がほとんどだった。
▽モータードライブはそんな私のコレクションのようなものだった。宝だった。
▽そんなモータードライブだったが、フィルムカメラの時代が終わり、デジタルカメラの時代になると、そうしたモータードライブの存在そのものもなくなっていた。デジタルカメラは、モータードライブを装着しなくとも、連写が可能になったのだ。今では1秒間に10−20コマの撮影ができるカメラが多くなっていて、モータードライブは古き良き時代の遺産となってしまった。それだけカメラの技術の進歩が速くなったということなのだろう。
▽モータードライブは、フィルムカメラ時代の遺産だが、私にとって大切な宝ものだった。
★247カメラの一脚と三脚
▽今でも不思議に思うのが、サッカーと野球の写真撮影で使う道具が違うことだ。サッカーの場合だとカメラに装着するものは一脚であり、三脚ではない。野球の場合は一脚ではなく三脚だ。こんな違いはどこにあるのだろうか。
▽私はカメラマンではないが、現役の新聞記者時代はサッカーも野球も、特に高校野球も写真撮影をしていた。
▽高校野球の場合だと、特にセンターバックからの望遠レンズでの撮影に必要だった。ブレを防ぐためカメラを固定して、打者を中心に撮影する時に使った。内野からの撮影の場合は、三脚を使わずに、手で持ってブレをしないように撮影していた。
▽これに対してサッカーは一脚だ。1本の棒のような一脚を固定して、選手や球を追った。そこで撮影してわかったのは、一脚の方が、カメラを右左に動かす時に優れていることだった。一脚はそのためにあるのかな、と思った。
▽初めてサッカーJリーグの撮影をした時、一脚には随分違和感があったが、慣れてしまえば、一脚の利便性を感じるようになった。
▽それとサッカーの撮影の場合、通常はゴールライン後ろにカメラを構えるため、三脚だと場所も取るため、他社のカメラマンの邪魔になるという理由もあるのかもしれない。一脚は撮影マナーを支えているだろう。
▽三脚の長短のもう一つに、場所取りという要素もある。撮り鉄はだから三脚を使って、場所取りをするのだし、それ故にケンカになる。一脚だと場所取りも出来ないのだ。
▽なぜサッカーの写真撮影が、一脚になったのかは、こんな理由からだろう、と勝手に解釈している。
★239取材の七つ道具
▽取材の七つ道具とは何か、と聞かれれば、昔ならこう答えた。
▽取材用の大学ノートとメモ用紙。ボールペンとシャープペンシル。
▽原稿用紙。
▽カメラとストロボ。その予備電池。
▽小銭入れと十円玉。
▽名刺入れと名刺。
▽これが今だったら、こう返事をするだろう。
▽取材用の大学ノートとメモ用紙。ボールペンとシャープペンシル。
▽カメラとストロボ。その予備電池。記憶用のカード。
▽スマホ。
▽名刺入れと名刺。
▽パソコンとモバイルルーター。
▽こうし見ると、大きく変わったのは、原稿を書いて送るパソコンを日々携行していることと、公衆電話を使うための十円玉が必要なくなり、スマホを持つようになったことだろう。
▽取材用の大学ノートは必需品で、メモ帳とは違って文字数をより多く書き込めること、図解を書き込むことも出来る。シャープペンシルは、雨などが降っている現場取材で、書き込んだ取材メモが雨でにじまないためのものだ。
▽カメラの予備電池は必要なもので、昔のカメラと違い、バッテリーが切れたら、動作できなくなるので、用意しておきたいものだ。
▽こうして比較すると、昔も今も、記者が携行するバッグの中には、いろいろなものが詰まっていて、それなりに重い。重いが、現場取材を続けるには最低限必要なものばかりだ。
▽最近はパソコンを携行しない記者を時折見かける。特に本社勤務の記者が携行していないことが多い。大丈夫かと思ってしまう。
【再掲載】★001ポケットラジオ
▽新聞記者生活を送っているうちに、次第に持ち歩くことがなくなったのが、ポケットラジオだ。ワイシャツやジャケットのポケットに入れて、イヤホンで聴く携帯型ラジオだ。
▽目的はニュースを聞くことだ。朝や昼、夕方、夜の定時ニュースを聞いて、自分の取材管内に関連したニュースがあるのかないのか、チェックしていく。
▽朝日新聞北海道報道部(当時・現北海道報道センター)に勤務していた時だ。小泉純一郎首相が北朝鮮に訪朝した。その反応を取材するため、札幌市にあった関係団体の建物の前で、私は立っていた。コメントを取ろうとした。しかし、なかなかコメントを出そうとしない。
▽私はポケットラジオのニュースを何気なく聞いていて、驚いた。それまで存在そのものを否定していた北朝鮮拉致被害者の存在を認めさせ、一部の人を日本に帰国させることになったというのだ。大きなニュースだった。
▽コメントどころの話ではなくなった。私は報道部に戻って、その反響記事をまとめることになった。ラジオニュースを聞いていなかったら、取材の第一歩が遅れるところだった。
▽このようにポケットラジオは情報収集の大きな武器の一つだった。
▽こうしたニュース収集の他にも、ポケットラジオを使う場所がある。そう、高校野球甲子園大会だ。試合そのものを取材する記者とは別に、観客席の反応を取材する記者を試合ごとに配置する。「スタンド雑観」と呼ばれる取材だ。観客を取材していると、肝心の試合は時折見ることが出来ない。そういう時もポケットラジオは威力を発揮する。中継を聞いていれば、試合の流れが分かるためだ。
▽そんなポケットラジオだが、次第に利用する機会がなくなってきた。インターネットとスマートフォンの普及で、スマホにネットラジオのアプリをインストールしていれば、ポケットラジオの代わりになるのだ。
▽しかも、聞き逃した個所も、テープレコーダーのように聞き直しが出来る機能もある。スマホで代役が可能になった。
▽ただし、あくまでもスマホがインターネットに繋がっているのが条件だ。通信やWi-Fiの環境が不安定だと、ネットラジオを聞くことは出来ない。またネットラジオはタイムラグがあるので、時報を気にする人には向かない。
▽使わなくなったポケットラジオだが、まだ捨てるわけにはいかないのだ。
★191オートフォーカス
▽取材で使う一眼レフカメラで、この数十年で大きな変化は、レンズのオートフォカースの進化だろう。昔はピントを合わせるのが難しいスポーツ写真撮影も、簡単に撮影できるのだから、技術の進展には驚くばかりだ。
▽今では当たり前のオートフォーカスだが、それまでのレンズは、オートフォーカスがなかったら、目で焦点を合わせていた。カメラ本体のファインダーを覗き、中央の焦点に合わせる。これは撮影対象が動いていないなら問題はないが、相手が動くスポーツや動物、特に飛ぶ鳥などの撮影は苦しい結果に終わることも多かった。
▽しかも人間の視力は次第に衰えてくるから、ピントが合わなくなることも多くなってくる。情けないが、それが現実だ。
▽本社にはプロのカメラマンがいるが、地方にはいない。地方にいると記者がカメラマンになって撮影するしかない。だから、私も相当、撮影取材は勉強したつもりだ。かなり高価なカメラも自費で購入した。
▽私がオートフォーカスの恩恵を感じたのは、サッカーJリーグの試合撮影と、新潟県佐渡市の佐渡島で行われている国の特別天然記念物トキの放鳥写真撮影だった。
▽サッカーは野球と違い、選手と球は想定外の動きをする。私のように記者であってプロのカメラマンではない人間にとって、試合撮影はどうしても球の動きをカメラで追ってしまう。だからピントが追いつかない。最近のオートフォーカスは優れていて、予測もしてくれるから、何とか焦点が合っているコマも撮れた。
▽トキの放鳥は、現地で2回行われる。トキの繁殖のために行っている環境省のプログラムで、人工飼育したトキを順次大空に解き放つのだが、なかなかトキがゲージから飛び立ってくれず、飛び立てば、大空を周回するため、一瞬の撮影チャンスをものに出来るかが勝負になる。その点、オートフォーカスはスグレモノだった。トキが撮影ポイントを飛翔すれば、レンズを向けて、夢中にシャッターを切った。撮影後に確認すると、ピントがきれいにあった写真が何枚かある。オートフォーカスの恩恵だった。
▽昔と現在のスポーツ写真を比較して欲しい。いかに現在の写真が鮮明になっているかが分かる。こんな技術を開発した企業の開発者に感謝したい。
★123ストロボ
▽デジタルカメラの技術の発展で、使わなくなってきたカメラ道具が一つある。ストロボだ。顔写真撮影やイベントの会場での撮影、記者会見など、建物の中でやや暗い場面でずっと使い続けてきたストロボだが、私が現役記者の最後の数年間はほとんど使わなくなってきた。必要とする場面が少なくなってきたのだ。
▽ストロボは、暗い場所での撮影には必要不可欠の道具だった。屋内での撮影、記者会見や顔写真、ボーズ写真、イベント取材など、カメラとともに持ち歩いた。新聞記者には必要な道具だった。
▽ただし、暗くてもストロボが使えないシーンがある。それがバレーボールやバスケットボール、器械体操など、体育館などでのスポーツ撮影だ。
▽体育館でのスポーツ撮影の場合、シャッター速度は遅くても500分の1秒以上で切る必要があるから、ISO感度が高くする必要があった。ISO感度とはカメラが光を捉える能力の数字で、通常のISO感度が100として、200なら2倍の感度、1600から16倍の感度を捉えることが出来る。逆に言えば、シヤッター速度をその分、速く切ることが出来る。
▽フィルムカメラではISO感度の最高値が1600だったから、現像時間を長くする「増感」という作業が必要になっていた。
▽ニコンやキャノンなどの日本のカメラメーカーが、新聞社のカメラマンの要望に応えて、ここ何年も何年も技術開発をして来たのが、撮影時のISO感度の向上だ。私が以前愛用していたカメラ、ニコンD2Hsは2005年の発売だが、このカメラの最高IOS感度はわずか1600。それが2016年発売のニコンD5は、ISO感度は最高102400にまで上がった。つまりそれだけ、シャッター速度を保って、被写体を撮影できるようになったのだ。画質は多少荒れるが、新聞紙面での影響はなかった。
▽こうしたカメラの仕様が向上したことで、それまでストロボを使ってきた撮影も、ストロボなしで出来るようになった。
▽例えば、総選挙などの選挙取材で候補予定者の顔写真を撮影する場合、少し以前なら、ストロボを使って、バウンス撮影していた。バウンス撮影とは、ストロボの光を相手に直接当てるのではなく、天井に向けて発光し、背後の影をなくす撮影方法だが、IOS感度の向上で、ストロボがなくても撮影できるようになった。会議写真にしても屋内の撮影でストロボを必要とすることがなくなった。
▽ただし、ストロボが必要な場面もある。屋外で太陽光に向かって人物を撮影する逆光の場合、敢えてストロボを発光させて、露出を適正するような場合だ。
▽その昔、ストロボが登場する前は、フラッシュという発光機械もあった。こちらは電灯のようなもので、1回使うと、使い捨てで、新しいフラッシュを交換する必要があった。そのためにフラッシュを1回使うと、そのたびに手当が出る新聞社もあったと聞かされたことがある。
★119バック便
▽バック便というものをご存じだろうか。インターネットどころか、ファクスもそんなに普及していなかった時代に、新聞社の地方在住記者が書き上げた原稿を専用列車で運んでいた時期がある。書き上げた原稿用紙を専用のバッグに入れて、それを近くの駅の専用窓口に渡し、列車で東京まで運んでもらい、翌朝、東京本社の人間が取りに行く。その原稿を入れる専用バッグを、いつの間にか「バック便」と呼ばれるようになったらしい。
▽このバック便だと、その日のうちには本社に届かないから、紙面化は1日遅れる。本日原稿を書いても、掲載は2日後になる。特に地方版に出すニュースは、街ダネや暇ダネが多く、1日遅れても、ニュースの鮮度は落ちないから、バック便は頻繁に使われていたらしい。もちろん、事件事故などその日のうちに伝えたいニュースは、電話で吹き込んでいたし、本社では専用の速記記者が受け手となって、原稿をキャッチしてくれていた。
▽私が新聞業界に入ったころ、バック便はまだ存在していた。手書きした原稿を支局長やデスクが手を入れるため、原稿用紙は文字が散乱したような状態になっていた。その原稿をバッグに入れて、駅まで運んだ。私の先輩などは、デスクの原稿直しが気に入らなかったらしく、その原稿を捨てて、元通りに直してバック便で出す猛者もいた。東京本社に着いた時は、デスクの原稿直しなどは全くなく、本社デスクはその原稿を見て、紙面を組み上げていた。直したはずの原稿がそのままになっているとは、地方のデスクも知るはずはなく、翌々日になって本社のデスクが直したのだろうと思ったに違いない。古き良き時代だった。
▽このバック便は放送業界でも使っていたらしい。放送素材を地方の放送局に送る時に利用していた。今だったらインターネットや専用回線で何でも送れる時代だが、当時はまだ列車で送るバック便がかなり使われていたという。
▽新聞社でバック便の利用が減ったのは、電話回線の拡大とファクスの普及が大きな要因だろう。ファクスは当初、送信と受信は別々の機械で行っていて、双方向できるものではなかった。そのため本社には受信専用のファクスが何台も並べられていた記憶がある。双方向の送受信が出来るファクスの普及に伴って、バック便が次第になくなってきた。
▽と同時に、デスクが直した原稿は、そのまま本社に送られるから、元通りにすることも出来なくなった。
▽記者は原稿を直されるのを嫌がる動物だ。デスクからすると、下手な原稿を直しているだけということになるが、自分なりの文体で仕上げた原稿を、ワンパターンで直されるのはたまらない、と考える記者も多い。バック便にしろ、ファクスにしろ、原稿がどのように直されているかすぐに分かるが、現代のようにパソコンを使ったインターネット送信では、どこがどのように直されたか、すぐに分からない場合が多くなってきた。デスクの癖を見抜くには、バック便やファクスは便利なシステムだったと今でも思う。
【再掲載】★037記者数え歌
▽新聞記者になったばかりのころ、宴会があると、ある先輩が必ず歌っていた数え歌があった。替え歌だったが、新聞記者の哀歌を歌ったもので、歌詞は微妙に違っているらしい。
▽現在、インターネットで検索すると、あるホームページにこんな歌詞がアップされていた。
《きしゃかぞえうた【記者数え歌】▽新聞記者生活の哀歓を、1から10までにまとめてうたった歌。
▽例の「ひとつ、1人でするのを…」のかえ歌なので、お心あたりのむきはご唱和をどうぞ。▽(和)
▽1つ、1人で書くのを▽特ダネ原稿と申します▽心はずみます
▽2つ、2人で書くのを▽手分け原稿と申します▽談話はいります
▽3つ、みんなで書くのを▽発表原稿と申します▽行数同じです
▽4つ、夜に書くのを▽泊り原稿と申します▽酒がにじみます
▽5つ、いつも書くのを▽得意原稿と申します▽メモがいりません
▽6つ、ムリに書くのを▽ねつぞう原稿と申します▽あとがたたります
▽7つ、泣き泣き書くのを▽抜かれ原稿と申します▽根性はいります
▽8つ、宿で書くのを▽出張原稿と申します▽旅費がかせげます
▽9つ、こってり書くのを▽企画原稿と申します▽ボツがありません
▽10お、とっても書けない▽頭が悪いと申します▽会社クビになる▽▽オシマイ》
▽私が先輩から聞いた歌詞は少し違っていた。
▽5つ、急いで書くのをツッコミ原稿と申します、デスク焦ります
▽7つ、泣く泣く書くのを訂正原稿と申します、もう左遷です
▽そして最後にみんなで「ボツ」と返す歌だった。
▽もうこの曲、職場の飲み会で聞くことはなくなった。まさに記憶の中の話になっている。
★089携行必需品
▽新聞記者を辞めて、日々持ち歩かなくなったものがある。貸与パソコンに貸与スマホ、一眼レフ、腕章、マイカーの鍵、録音用のレコーダー、通信用カードなどだ。取材用のマイカーには、取材用の三脚や脚立、望遠レンズ、長靴なども入れていたから、かなりの量になっていた。
▽退社して、フリーランスになってから、こうしたものは、日々持ち歩かなくなった。バッグにノートやペン、コンパクトカメラなどは入れているが、かなり軽量になった。よくあれだけのものをバッグに入れて、歩いていたなと我ながら感心する。重かった。
▽私が新聞記者を始めたころは、原稿を原稿用紙に書いていたから、原稿用紙は常に持っていた。原稿を送るには、ファックスで送るか、キャップやデスクに手渡すしかなかった。書きためた原稿をバッグに入れていた。もちろん一眼レフのカメラは持っていたが、そんなに重く感じたことはなかった。
▽それがワープロの導入になり、フロッピーディスクも必需品になった。ノートパソコンの出現により、ノートパソコンは常に持ち歩くものになった。会社とのホストコンピューターにつなげるため、通信カードも必需品になった。メモリーカードも必要だ。カメラもフィルムカメラからデジタルカメラに変わり、そのデジタルカメラも持つようになったから、ノートパソコンとメモリーカードを繋げるメモリーリーダーも必要だ。メモリーカードも年々変化していて、かつてはスマートメディア、ピクチャーカード、コンパクトフラッシュカードを使っていたが、SDカード、XQDカードなどに代わりつつある。記者が携行する道具は次第に重くなってきたと感じる。
▽録音用のレコーダーもいつの間にか必需品になった。取材相手とのトラブルに備えるためにも、録音は必要になった。ただし、対面での取材で録音する時は、相手の了解が必要だ。
▽最近の若い記者は特に本社だと、パソコンを持ち歩かないし、一眼レフカメラも持ち歩かないから、かなり楽をしているけど、やはりいつ何が起きるか分からないから、こうしたものは常に持ち歩くことが大事だと私は思っている。
★055 十円玉
▽携帯電話やスマートフォンが普及し、なくなったものの一つに、ポケットベルがある。と同時に新聞記者の身から消えた物が、十円玉だ。
▽私が新聞社に入社したころはポケベルは当初、液晶ディスプレーの表示がなく、単に、「ピーッ、ピーッ」と鳴るだけだった。鳴ったら、公衆電話を探して、会社に電話をかけて、デスクから指示を仰ぐ。そんな単純な道具だった。
▽このため十円玉は必需品だった。当時はまだテレホンカード、テレホンカードに対応する公衆電話などなかったから、十円玉は大量に持っていないとならなかった。原稿を電話で吹き込む時は、ある程度の時間がかかるから、十円玉は大量に必要だ。
▽上着のポケットにジャラジャラと無造作に入れておくと、いつしかポケット周辺が変形していく。それが嫌だったら、大きな小銭入れを用意するしかなかった。小銭入れがない場合は、フィルムケースを代用品として使ったこともある。十円玉は大切な取材道具の一つだった。
▽十円玉を使うのは、公衆電話だけではなかった。公衆電話が見つからない場合は、民家に理由を言って、電話を借りることもあった。この場合、電話代として十円玉を何枚か置いていく。これが礼儀だった。
▽映画やドラマになった「クライマーズ・ハイ」でも、取材チームが電話を借りきっているシーンが出てくる。無線機や携帯電話、スマホが普及していなかった時代は、電話を借りることも大切な取材のイロハだった。十円玉は必需品だった。
▽その十円玉が、ほかの小銭とともに駆逐されようとしている。都市銀行やゆうちょ銀行などで小銭の扱いに手数料をかけるようになったためだ。キャッシュレス化の一環という見方もあるが、地方ではキャッシュレス化がそんなに進んでいないのも事実だ。しかも大災害になった場合、電話回線やインターネット回線が切れてしまえば、電子マネーもクレジットカードも使えなくなる。東日本大震災ではそのことを露呈した。現金はまだ大切な道具だと私は思っている。
▽十円玉は、私にとってはまだ断捨離が出来ない新しい記憶だ。
★037記者数え歌
▽新聞記者になったばかりのころ、宴会があると、ある先輩が必ず歌っていた数え歌があった。替え歌だったが、新聞記者の哀歌を歌ったもので、歌詞は微妙に違っているらしい。
▽現在、インターネットで検索すると、あるホームページにこんな歌詞がアップされていた。
《きしゃかぞえうた【記者数え歌】▽新聞記者生活の哀歓を、1から10までにまとめてうたった歌。
▽例の「ひとつ、1人でするのを…」のかえ歌なので、お心あたりのむきはご唱和をどうぞ。▽(和)
▽1つ、1人で書くのを▽特ダネ原稿と申します▽心はずみます
▽2つ、2人で書くのを▽手分け原稿と申します▽談話はいります
▽3つ、みんなで書くのを▽発表原稿と申します▽行数同じです
▽4つ、夜に書くのを▽泊り原稿と申します▽酒がにじみます
▽5つ、いつも書くのを▽得意原稿と申します▽メモがいりません
▽6つ、ムリに書くのを▽ねつぞう原稿と申します▽あとがたたります
▽7つ、泣き泣き書くのを▽抜かれ原稿と申します▽根性はいります
▽8つ、宿で書くのを▽出張原稿と申します▽旅費がかせげます
▽9つ、こってり書くのを▽企画原稿と申します▽ボツがありません
▽10お、とっても書けない▽頭が悪いと申します▽会社クビになる▽▽オシマイ》
▽私が先輩から聞いた歌詞は少し違っていた。
▽5つ、急いで書くのをツッコミ原稿と申します、デスク焦ります
▽7つ、泣く泣く書くのを訂正原稿と申します、もう左遷です
▽そして最後にみんなで「ボツ」と返す歌だった。
▽もうこの曲、職場の飲み会で聞くことはなくなった。まさに記憶の中の話になっている。
★022接写リング
▽消えゆく新聞記者の道具の一つに接写リングがあった。
▽私が新聞記者になったころ、殺人事件も、交通事故死亡被害者も、紙面には顔写真が必要だった。事件事故が発生し、被害者の遺族や関係者に会いに行き、顔写真を接写する。
▽遠足や各種宴会、卒業写真など、集合写真の中からその被害者を特定してもらい、接写するのだが、当時はまだ接写リングというものを使って撮影しないと、小さな小さな顔写真は撮影できなかった。
▽当時私が持っていたカメラは、ニコンの「ニコマート」というカメラで、35ミリレンズを使っていた。その本体とレンズの間に接写リングを入れて、接写するのである。撮影した写真は、会社に持ち帰り、現像して、事件事故の被害者として顔写真を紙面に入れた。
▽当時は他社との競争もあり、いかに顔写真を早く、そして被害者が複数の場合はいかに多く載せるのか、必死だった。かなりのエネルギーを使った記憶がある。新人時代は死亡交通事故現場には必ず行っていたし、火災現場にも行っていた。深夜の火災にも現場に急行していた。休日も潰れたが、何の違和感もなかった。
▽工事現場でダイナマイトが誤って爆発して、何人か死亡した時は、同姓同名の人物の家庭周辺を回ってしまい、近所の女性を泣かせたこともあった。また先輩の話だが、交通事故で双子の子供のうちの1人が死亡した時は、似ている2人の写真を確かめないで、掲載しようとしたこともあったというから、笑えない。
▽それがいつからか、顔写真を載せるようなことは次第になくなってきた。現在は交通事故で顔写真を載せる事はほとんどないし、火災での被害者も顔写真が載る事はほとんどない。紙面から顔写真が消えた。
▽載せなくなると、記者は被害者の周辺取材もしなくなる。現場に行くこともなくなる。被害者にもプライバシーがあるから、取材を控えるという理由も一方であるが、それだけの理由で現場に行かなくなるのは、機動力の放棄だと私は思う。新聞は記録性を重視するメディアでもあるのだから、とことん現場に行くことは必要だ。こんな考えは古いのだろうか。
▽ともあれ、昔使っていた接写リングはもはや昔の道具なのだろう。今探しても、どこにもない。捨ててしまったのだろう。
★021さらげん
「さらげん」という言葉をご存じだろうか。パソコンで「さらげん」と平仮名で打ち、変換キーを押しても、「皿源」としか出てこない。私がこれから説明する「皿現」とは出てこない。
▽皿は、お皿のこと。現とは現像のことを指す。つまりお皿を使ってフィルムを現像することをいう。
▽ネットでは辛うじて、「皿現像」と入力するとヒットする。
▽私がこの新聞業界に入った時は、まだフィルムカメラ全盛時代で、撮影したフィルムを会社の支局にある暗室で現像し、そのネガで印画紙に焼き付けるという作業をほぼ毎日行っていた。
▽真っ暗な暗室に入り、手探りでカメラからフィルムを取り出して、縦に細長い現像タンクにぶら下げるように入れる。現像液の液温は22-24度でこれ以下でも以上でもいけない。温度によって現像時間は微妙に変える。5-7分間の現像を終えて、水洗いする。水洗いしてから定着液に浸けて、さらに水洗いして乾燥させる。これでネガが完成する。
▽この現像タンクでの現像作業のほか、丸い小さな現像タンクもある。フィルムをぶら下げるのではなく、暗い暗室でグルグル専用の巻き取り容器に巻いていき、そこに現像液を入れて現像する。
▽しかしこの作業は時間がかかる。時間を節約するために、編み出されたのが、「皿現」である。
▽あらかじめ、濃度の濃い現像液を作っておくか、性質はやや違うが印画紙用の現像液を専用の大きな皿に入れる。印画紙用の現像液はフィルムの現像液より数倍濃い。真っ暗な暗室の中で、カメラからフイルムを取り出して、撮影した部分だけ切り取って、両手で現像液の中でゆっくりと浸して、右に左にでフィルムをゆりかごのように動かして現像していく。濃度と液温によるが、これだと1分ほどで現像が終わる。あとは水洗いと定着液に漬けるだけだ。
▽気をつけなくてはいけないのは、フィルムの裏側は傷つきやすいため、皿にぶつけてはいけないことだ。神経を研ぎ澄ませて、現像を続ける。
▽現像が終わって水洗いをして、乾燥する時、ドライヤーも使う。時間短縮のためだ。
▽この「皿現」、フイルムに傷が付くこともあり、邪道とも思われるが、実は暗室がない出張先のホテルでは、唯一の現像方法だった。ホテルの浴室を暗室代わりに使い、皿現で現像する。大手の報道カメラマンだったら、だれもが行っていた作業だった。
▽そんな作業も、モノクロからカラーフィルムの普及に伴って、自動現像機の導入などで暗室作業そのものがなくなり、そしてデジカメの普及で過去の遺物となってしまった。
★003暗室
▽デジタルカメラが登場した時、新聞社に勤務していた私は衝撃を受けた。フィルムカメラの世界にどっぷり浸かっていた人間にとって、暗室でフィルムを現像する、写真を焼くという作業は必要不可欠であり、その作業は職人的なものだとずっと思っていたからだ。それがなくなる。そんな危機感すら思った。
▽取材して原稿を書く傍らで、フィルムを現像し、ネガとなったフィルムを使って引き伸ばし機で写真を焼く。地方にいれば、毎日続く新聞社の光景だった。
▽それがなくなるのだ。身体に染みこんだ技術が使えなくなるのだから、何とも言えない衝撃を受けた。
▽私が新聞業界に入る前、アメリカの通信社写真部でアルバイトをしたことがあった。暗室作業を勉強し、配信する写真を焼くようにもなった。
▽インターネットなど全くなかった時代だから、配信する写真を20枚以上焼いていく作業は、かなりの習熟度が必要だった。
▽フィルムを現像し、乾燥してから、引き伸ばし機の露光で印画紙に写真を次々と焼いていく。現像液に浸けて、印画紙に画像が次第に浮き上がってくる。それを見計らって水洗いをして、定着液に浸ける。単純なようで、神経を使う仕事だった。
▽取材してきたカメラマンが、フィルムを手にして、「これは増感するから」と言ってくることもあった。
▽「増感」とは、適正な露出が得られないような撮影をした場合に行う現像作業だ。簡単に言えば、現像時間を長くする作業だ。
▽例えば、体育館でのスポーツ写真撮影など、シャッター速度を遅くとも500分の1秒に設定する必要があるが、これだと絞りが適正数値を得られない。適正数値が得られないまま、絞りをF8や16などに設定して撮影する。このまま通常時間で現像すると、フィルムはぼやけた薄い画像のネガにしかならない。フィルムの現像時間を通常の2倍、3倍に伸ばして、画像を浮かび上がる技術だ。
▽当時のフィルムカメラのISOの設定など100~1600ぐらいだから、増感現像に頼るしかなかった。そんな時代だった。
▽そんな時、ベテランのカメラマンから、この言葉を聞いたことがある。
「欧米の報道会社には、カメラマンとは別にダークマンという職業があって、社によってはカメラマンよりダークマンの方が地位が高い」
▽フィルムカメラ全盛時代には、「ダークマン」と呼ばれる人が暗室にいた。そんな話だった。
▽ダークマンはフィルムカメラ全盛時代に、暗室作業を専門職とする人間を指した言葉だ。
▽確かに、フィルムの現像と写真の焼き付けを素早く、かつ大量に行うのは、職人技だと私は感じた。そんなプライドを持った職業人も、デジタルカメラの登場で暗室が不必要になり、いなくなった。
★001ポケットラジオ
▽新聞記者生活を送っているうちに、次第に持ち歩くことがなくなったのが、ポケットラジオだ。ワイシャツやジャケットのポケットに入れて、イヤホンで聴く携帯型ラジオだ。
▽目的はニュースを聞くことだ。朝や昼、夕方、夜の定時ニュースを聞いて、自分の取材管内に関連したニュースがあるのかないのか、チェックしていく。
▽朝日新聞北海道報道部(当時・現北海道報道センター)に勤務していた時だ。小泉純一郎首相が北朝鮮に訪朝した。その反応を取材するため、札幌市にあった関係団体の建物の前で、私は立っていた。コメントを取ろうとした。しかし、なかなかコメントを出そうとしない。
▽私はポケットラジオのニュースを何気なく聞いていて、驚いた。それまで存在そのものを否定していた北朝鮮拉致被害者の存在を認めさせ、一部の人を日本に帰国させることになったというのだ。大きなニュースだった。
▽コメントどころの話ではなくなった。私は報道部に戻って、その反響記事をまとめることになった。ラジオニュースを聞いていなかったら、取材の第一歩が遅れるところだった。
▽このようにポケットラジオは情報収集の大きな武器の一つだった。
▽こうしたニュース収集の他にも、ポケットラジオを使う場所がある。そう、高校野球甲子園大会だ。試合そのものを取材する記者とは別に、観客席の反応を取材する記者を試合ごとに配置する。「スタンド雑観」と呼ばれる取材だ。観客を取材していると、肝心の試合は時折見ることが出来ない。そういう時もポケットラジオは威力を発揮する。中継を聞いていれば、試合の流れが分かるためだ。
▽そんなポケットラジオだが、次第に利用する機会がなくなってきた。インターネットとスマートフォンの普及で、スマホにネットラジオのアプリをインストールしていれば、ポケットラジオの代わりになるのだ。
▽しかも、聞き逃した個所も、テープレコーダーのように聞き直しが出来る機能もある。スマホで代役が可能になった。
▽ただし、あくまでもスマホがインターネットに繋がっているのが条件だ。通信やWi-Fiの環境が不安定だと、ネットラジオを聞くことは出来ない。またネットラジオはタイムラグがあるので、時報を気にする人には向かない。
▽使わなくなったポケットラジオだが、まだ捨てるわけにはいかないのだ。